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エリア:
- ヨーロッパ > サンマリノ共和国 > サンマリノ
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テーマ:
- 街中・建物・景色
- / 世界遺産
- / 歴史・文化・芸術
イタリアの中にある小さな独立国サン・マリノは面積61平方キロメートル(マンハッタン島と同じぐらい、小豆島の半分)世界で五番目に小さい国だ。
ここが独立国として生き延びてきたのは、ティターノ山を砦としていたからに違いない。近づくにつれてその山の三つの頂きに城塞があるのが見えてきた。
これらの城塞はすでに1300年代にあったことが記録されている。1500年頃の絵の中にその名も聖人マリノが街を抱いている。
下は1663年にアムステルダムで発行された本に載せられたサン・マリノ。上下で崖側と街側が描かれている。
※これらの図はグァイタ塔の展示より
国の正式紋章もこれ。この写真は旧市街の切手とコインの博物館・お店のウィンドウより。
もうすぐ国への入口。三つの砦が大きくみえてきた。一番右手グアイタ塔の下に旧市街がある。
国境はこの簡単な歩道橋のような橋だけ。そこにイタリア語で「古き自由の地へようこそ」と書かれてある。
じぐざぐの道をのぼっていくとアドリア海が見えてきた。ここは海からたった20キロしか離れていない。
バスの駐車場は旧市街城壁のすぐ外、13世紀ごろからあるフランチェスコ門を入ると急な小道が交差する旧市街だ。
すぐについたティターノ広場には無料の歴史博物館。リベルタ(自由)広場はすぐそこ。
この宮殿が市長舎であり国の政庁舎でもある。
★サン・マリノは人口3万人。60人の代議員が一院制の国会を形成する。首長であるカピターニ・レジェンティ(国発行の日本語案内では「執政」と訳されていた)は半年ごとに交代する決まり。それによってひとりの手に権力が集中するのを避けている。カピターニがはじめて選出されたのは1243年。世界一古い共和国と言うだけのことはある。
弱肉強食の中世を、その地形と政治力とによって独立を保ち続けた。イタリア統一の年月においてはつかの間のローマ共和国を追われたガリバルディをかくまっている。後年これがサン・マリノの独立維持に貢献したのではないだろうか。
サン・マリノ共和国の衛兵
旧市街の一つはガリバルディ広場と呼ばれ、彼の白い胸像が建てられている。
パスポートに正式な入国スタンプを押してほしい?
インフォメーションで料金5ユーロを払うと、下のようなスタンプを押してくれる。※正式パスポートでないものには押してくれませんでした。
サン・マリノのコイン、ほしい?
イタリアが鋳造することの出来るユーロ枠からサン・マリノの分を分けてもらっているそうで、数はごく少ないから流通しているのは見たことがない。博物館の売店でセット売り98ユーロであった。
この中の5セントに刻まれているのが、この旧市街の上にあるグアイタの塔。
十分ほど坂を上っていくと、グアイタ塔の入口に到着。ここだけ単独の入場は料金三ユーロ。
入場券はカード式
塔はさっきのコインに描かれていた形。
海抜750メートルから素晴らしい眺望を楽しめる。
この塔はしかし、20世紀に至るまで監獄として使われていた。その監房が公開されている。
監獄のことを冗談で「無料ホテル」などというけれど、この監獄では収監料を本人から徴収していた。
「最も危険な罪人をロッカ(ここのこと)の地下に収監した」と国の歴史書にあるそうだ。中世には拷問はあたりまえだったが、サン・マリノでは1821年9月5日の国会でこれを禁止。さらに1848年3月16日には死刑も西洋諸国に先駆けて廃止している。
内部にはたくさんの絵が書かれているが、現代の修復の中でペンキが何度も塗られていって、それぞれの時代特定が難しくなってしまったとのこと。
グアイタの塔は今見えている形になったのはそれほど昔ではない。どの部分がいつ造られたのかを現した図がこれ。ピンクが13世紀の部分になる。
街へ降りていくと、ギリシャ神殿のようなサン・マリノ教会がある。
ダルマチア(現クロアチア海岸部)から逃れてきた石工だったかれが暮らした石のベッドもこのとなりに残されているのである。
ここが独立国として生き延びてきたのは、ティターノ山を砦としていたからに違いない。近づくにつれてその山の三つの頂きに城塞があるのが見えてきた。
これらの城塞はすでに1300年代にあったことが記録されている。1500年頃の絵の中にその名も聖人マリノが街を抱いている。
下は1663年にアムステルダムで発行された本に載せられたサン・マリノ。上下で崖側と街側が描かれている。
※これらの図はグァイタ塔の展示より
国の正式紋章もこれ。この写真は旧市街の切手とコインの博物館・お店のウィンドウより。
もうすぐ国への入口。三つの砦が大きくみえてきた。一番右手グアイタ塔の下に旧市街がある。
国境はこの簡単な歩道橋のような橋だけ。そこにイタリア語で「古き自由の地へようこそ」と書かれてある。
じぐざぐの道をのぼっていくとアドリア海が見えてきた。ここは海からたった20キロしか離れていない。
バスの駐車場は旧市街城壁のすぐ外、13世紀ごろからあるフランチェスコ門を入ると急な小道が交差する旧市街だ。
すぐについたティターノ広場には無料の歴史博物館。リベルタ(自由)広場はすぐそこ。
この宮殿が市長舎であり国の政庁舎でもある。
★サン・マリノは人口3万人。60人の代議員が一院制の国会を形成する。首長であるカピターニ・レジェンティ(国発行の日本語案内では「執政」と訳されていた)は半年ごとに交代する決まり。それによってひとりの手に権力が集中するのを避けている。カピターニがはじめて選出されたのは1243年。世界一古い共和国と言うだけのことはある。
弱肉強食の中世を、その地形と政治力とによって独立を保ち続けた。イタリア統一の年月においてはつかの間のローマ共和国を追われたガリバルディをかくまっている。後年これがサン・マリノの独立維持に貢献したのではないだろうか。
サン・マリノ共和国の衛兵
旧市街の一つはガリバルディ広場と呼ばれ、彼の白い胸像が建てられている。
パスポートに正式な入国スタンプを押してほしい?
インフォメーションで料金5ユーロを払うと、下のようなスタンプを押してくれる。※正式パスポートでないものには押してくれませんでした。
サン・マリノのコイン、ほしい?
イタリアが鋳造することの出来るユーロ枠からサン・マリノの分を分けてもらっているそうで、数はごく少ないから流通しているのは見たことがない。博物館の売店でセット売り98ユーロであった。
この中の5セントに刻まれているのが、この旧市街の上にあるグアイタの塔。
十分ほど坂を上っていくと、グアイタ塔の入口に到着。ここだけ単独の入場は料金三ユーロ。
入場券はカード式
塔はさっきのコインに描かれていた形。
海抜750メートルから素晴らしい眺望を楽しめる。
この塔はしかし、20世紀に至るまで監獄として使われていた。その監房が公開されている。
監獄のことを冗談で「無料ホテル」などというけれど、この監獄では収監料を本人から徴収していた。
「最も危険な罪人をロッカ(ここのこと)の地下に収監した」と国の歴史書にあるそうだ。中世には拷問はあたりまえだったが、サン・マリノでは1821年9月5日の国会でこれを禁止。さらに1848年3月16日には死刑も西洋諸国に先駆けて廃止している。
内部にはたくさんの絵が書かれているが、現代の修復の中でペンキが何度も塗られていって、それぞれの時代特定が難しくなってしまったとのこと。
グアイタの塔は今見えている形になったのはそれほど昔ではない。どの部分がいつ造られたのかを現した図がこれ。ピンクが13世紀の部分になる。
街へ降りていくと、ギリシャ神殿のようなサン・マリノ教会がある。
ダルマチア(現クロアチア海岸部)から逃れてきた石工だったかれが暮らした石のベッドもこのとなりに残されているのである。