-
エリア:
- 中近東 > トルコ > イスタンブール
-
テーマ:
- 街中・建物・景色
- / 歴史・文化・芸術
イスタンブル旧市街のボドルム・モスクはロシア系の革問屋が軒を並べるなかにひっそりうもれていた。
もとはビザンチン時代の教会。ミレレオンと呼ばれていた女性修道院である。
5世紀に遡る場所だが、現在見られるのは10世紀の教会だった建物。
ロマノス1世レカペノスは、歴代東ローマ皇帝のそれまでの墓所ではなく、ここを廟にした。帝国の海軍長官でしかなかった彼はいわば簒奪者。皇太后をゾエを幽閉し、14歳だった少年皇帝コンスタンティヌス七世ポルフィロゲネトス(皇后の紫の部屋で産まれた正当な後継者という意味)と娘のヘレネを結婚させる事でその地位を得ていたからである。
そばにはかつて宮殿があり、そのロトンダは直径41.8mの屋根で覆われていたそうだが、今、その場所は定かではない。
この教会に初めて葬られたのはロマノス帝の妻テオドラ(西暦922没)と早世した長男クリストファノス(西暦931年没)。建物の地下部分がその廟であっただろうと言われている。
西暦944年ロマノス帝は暗愚として後継に使命しなかった次男と三男によりクーデターを起こされ失脚・追放。しかし後継指名されていたコンスタンティヌス7世が民衆に支持されて、二人に代わり皇帝についた。
西暦948年、元帝の義父ロマヌスは一修道士として没し、この修道院に埋葬されたとされる。
現在、内部はきれいに整備された新しいモスクである。
メッカの方向を示すミヒラブは例によって正面の少し右へずれている。そこへ向かってまっすぐ座れるように、絨毯が斜め方向の線がつけられている。
一日五回の祈りの時間は日の長さと共に変化するので、自動的に計算して表示する電光掲示版がある。
★小松がこのモスク=旧ミレレオン修道院を訪れるきっかけは1990年に入手した一冊の本「コンスタンティノープルを歩く」尚樹啓太郎著・東海大学出版会。
1980年代中頃に著者がこちらへ来られた時の事を書いておられる。
「外観はかなり荒れていた。外壁や屋根に草の種が落ち、緑の生命がやどっていた。門は固く閉ざされていた。門をがたがた押したりしていると、どこかにいたらしい一人の男が近づいてきた。」
その男は管理人で、家族と共にここに住んでいた、と続く。内部にバラックの小屋をつくっていたのである。
本に載せられていた写真と、目の前のきれいなモスクとのあまりの差にびっくり。しかし、それ以上の驚きが待っていた。
ボドルム・モスクというのが現在の名前なのだが、「ボドルム」とは「地下」を意味する。
この言葉通り、20mほど離れたところにはかつての墓地・後に地下貯水槽だった大きな地下室がある。前出の本では「覗いてみると穴には塵がいっぱい詰まっていた」と書かれていた場所になる。
どこだろう?
ガイドのアヴニさんは店に入っていこうとする。
と、中に地下へ続く階段があった。
いよいよ地下の遺構があるのか…と思ったら
何十本もの古代の柱に支えられた地下空間は、塵ならぬ、ぎっしりと皮の問屋が埋めていた。柱には削られていない十字架があった。
モスクとなった時代にもこの地下の十字架は削られなかったのだろう。
ぐるぐるまわって、もっとなにか残されていると思ったら、
外へ出てきてしまった。
二十年の歳月は、建物を整備し、地下墓地を皮の商店街に変えてしまっていた!
もとはビザンチン時代の教会。ミレレオンと呼ばれていた女性修道院である。
5世紀に遡る場所だが、現在見られるのは10世紀の教会だった建物。
ロマノス1世レカペノスは、歴代東ローマ皇帝のそれまでの墓所ではなく、ここを廟にした。帝国の海軍長官でしかなかった彼はいわば簒奪者。皇太后をゾエを幽閉し、14歳だった少年皇帝コンスタンティヌス七世ポルフィロゲネトス(皇后の紫の部屋で産まれた正当な後継者という意味)と娘のヘレネを結婚させる事でその地位を得ていたからである。
そばにはかつて宮殿があり、そのロトンダは直径41.8mの屋根で覆われていたそうだが、今、その場所は定かではない。
この教会に初めて葬られたのはロマノス帝の妻テオドラ(西暦922没)と早世した長男クリストファノス(西暦931年没)。建物の地下部分がその廟であっただろうと言われている。
西暦944年ロマノス帝は暗愚として後継に使命しなかった次男と三男によりクーデターを起こされ失脚・追放。しかし後継指名されていたコンスタンティヌス7世が民衆に支持されて、二人に代わり皇帝についた。
西暦948年、元帝の義父ロマヌスは一修道士として没し、この修道院に埋葬されたとされる。
現在、内部はきれいに整備された新しいモスクである。
メッカの方向を示すミヒラブは例によって正面の少し右へずれている。そこへ向かってまっすぐ座れるように、絨毯が斜め方向の線がつけられている。
一日五回の祈りの時間は日の長さと共に変化するので、自動的に計算して表示する電光掲示版がある。
★小松がこのモスク=旧ミレレオン修道院を訪れるきっかけは1990年に入手した一冊の本「コンスタンティノープルを歩く」尚樹啓太郎著・東海大学出版会。
1980年代中頃に著者がこちらへ来られた時の事を書いておられる。
「外観はかなり荒れていた。外壁や屋根に草の種が落ち、緑の生命がやどっていた。門は固く閉ざされていた。門をがたがた押したりしていると、どこかにいたらしい一人の男が近づいてきた。」
その男は管理人で、家族と共にここに住んでいた、と続く。内部にバラックの小屋をつくっていたのである。
本に載せられていた写真と、目の前のきれいなモスクとのあまりの差にびっくり。しかし、それ以上の驚きが待っていた。
ボドルム・モスクというのが現在の名前なのだが、「ボドルム」とは「地下」を意味する。
この言葉通り、20mほど離れたところにはかつての墓地・後に地下貯水槽だった大きな地下室がある。前出の本では「覗いてみると穴には塵がいっぱい詰まっていた」と書かれていた場所になる。
どこだろう?
ガイドのアヴニさんは店に入っていこうとする。
と、中に地下へ続く階段があった。
いよいよ地下の遺構があるのか…と思ったら
何十本もの古代の柱に支えられた地下空間は、塵ならぬ、ぎっしりと皮の問屋が埋めていた。柱には削られていない十字架があった。
モスクとなった時代にもこの地下の十字架は削られなかったのだろう。
ぐるぐるまわって、もっとなにか残されていると思ったら、
外へ出てきてしまった。
二十年の歳月は、建物を整備し、地下墓地を皮の商店街に変えてしまっていた!