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旅倶楽部「こま通信」

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旅倶楽部 こま通信
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埼玉県
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旅行業
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旅倶楽部「こま通信」代表

これまで三千日以上を旅してきて、より良い旅の為に《手造の旅》をはじめました。メンバーからの要望によって、一生モノの旅をつくっていきます。

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トルコで一番長い石橋

2012/10/02 09:40
ウズンキョプル橋
エリア:
  • 中近東 > トルコ
テーマ:
  • 街中・建物・景色
トルコとギリシャとの国境をなすメルチ川の支流、エルギン川に十五世紀前半(1427〜1443年)にかけられた石橋が今も現役である。
ウズンキョプル橋
174のアーチによって支えられた1329mの橋だったが、現在は二つのアーチが減らされ(護岸工事などによる?)1238m55cmとなっている(現地の案内板による)。

古い時代にはアラビア語でジスリ(橋)・エルギネ(エルギン川の)と呼ばれていた。

おもしろいライオン?とチューリップの彫刻があった。イスラムは人物や動物を表現しないのが通常だが、古い時代にはオスマン・トルコ時代でもこういった動物は描かれていたそうだ。これは建設当初の彫刻なのかもしれない。古い彫刻

ここへ至る道はいちめんのひまわり畑。9月半ばということで刈り取られてしまっていたが、これが咲き誇る時期にはスペイン南部にも負けない黄色い花の海だったことだろう。橋のたもとにもひまわり油を生産する工場があった。
橋のたもとにひまわり油工場

この時代、イスタンブルはまだ東ローマ帝国=ビザンチン帝国のもの。オスマン・トルコの首都は現在のギリシャ国境すれすれのエディルネだった。

当然、首都への交通は重要。特に港との物資輸送は生命線でもある。マルマラ海に面した当時の主要港テキルダから首都エディルネまでの輸送路を遮る川を渡るための橋を建設したのである。

そして、橋のあるところに街が出現する。西岸には今でもウズンキョプルの街がある。オスマン・トルコは後年にもたくさんの石橋を建設したが、現在に至ってもこれが一番長い橋。

建設当時には想定されなかった重量の車がどんどん渡ってゆく。
現在でも車で渡れる
十五世紀の橋がこれだけの強度を持っているのは、やはり有効な改修が何度も行われたからだ。十五世紀の後半メフメット2世が早くも一回目の改修。
十七世紀前半オスマン二世、十九世紀マフムット二世、アブドゥルハミット。

最後は共和国になってからの1964年から1971年にかけて、おそらく一番大規模な改修だっただろう。この時橋の幅をそれぞれ71cmずつ・合計1m42cm広げて巾6m80〜90cmとなった(解説版による)。

**

ガイドさんによれば近辺の住民にはロマ族(いわゆるジプシー)が多いそうだ。すれちがった彼らはたしかに少し違った風貌をしていた。
ジプシーたちの馬車

道路標識には「YUNANISTAN=ギリシャ」という表示が見える。
ギリシャ国境が近い
これについては下記にもう少し詳しく書きました。
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/iDiary/index.php?mode=show&date=20120927
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