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エリア:
- ヨーロッパ > イタリア
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テーマ:
- 街中・建物・景色
- / 歴史・文化・芸術
イタリア中北部、モデナの北10キロに位置するノナントラ。今は田舎町だが、中世前期には大きなベネディクト派修道院があった場所。
その中心だった聖シルヴェストロ教会が残されている。
シンプルなファサードは、1913年から1920年の間に12世紀頃の姿に戻された。
修復以前はこんな風だった。窓や扉がちがっているのがわかる。
いちばん重要なのは、入口の大理石浅浮彫。
モデナ大聖堂と同じ名工ヴィリジェルモとその一門の技。
この修道院の起源がこの部分。ロンゴバルド王アストルフォが義理の兄弟であるアンセルモに修道院建造を許可している。左の王冠を被った人物がアストルフォ王、右の僧衣を来た人物がアンセルモ司教。シンプルな構図のなかでも人物をちゃんと描き分け、ヴィリジェルモ一門のものとすぐにわかる特徴的な目の表現をもっている。もともとは目のところに色石がはまっていたと考えられる。
その二つ上のシーンでは、ローマから聖シルヴェストロの遺体を貰い受けるように法皇にお願いしている図。
当時、教会が聖人の遺骨を所有することでたくさんの巡礼を呼び寄せることが出来た。聖シルヴェストロは伝説ではコンスタンチヌス帝に洗礼を施した人物だから、全キリスト教徒にとって重要なのだ。
※実際にはローマから盗まれてノナントラへきたとか?
地下のクリプトには今も聖人の遺骨が置かれていた。
ここの地下聖堂はモデナ大聖堂の二倍の広さがある。かつてはそれだけの修道院だったのだ。
博物館にはシルヴェストロのシンプルな石棺がある。
よく見ると、756年から1912年までここに納められていた、と書かれている。
書かれたのは当然1912年だろうが、納められたのが756年なのか確証はない。そういうもの。
この年につくられた新たな祭壇がこれ。現在は2012年の地震の後公開されていないようす。
入場予約をしておいたからか、案内のおじさんが、「三分だけだよ」と言って、教会の内部まで案内してくれた。2012年の地震はかなりひどかったらしく、足場もまだまだそのまま。
後陣外側も20世紀初期にかつての姿に戻されている。
かつて、まったく似合わない四角い鐘楼が載せられていたなんて。
写真をよく見ると、壁の下の方によりかかるように家があったのが見える。この家によって、かつてロマネスク時代のクリプトの窓が隠されていた。
当時クリプトはほとんど埋め込まれていたので窓なんて関係なかったのだが、修復によってクリプトが復活させられて、外側も美しい12世紀の雰囲気がよみがえった。
たぶん、12世紀以前の教会にあったのだろう石の浮彫が一部はめこまれている。
一時間ほどの滞在で、付属博物館は見切れなかったが、ここの目玉の一つが、カール大帝直筆とされるサインがある羊皮紙。
常時展示されているのは複製品だが、Kの文字が見えるモノグラムがそれ。
ノナントラ、二回目の訪問で少しその価値が理解できてきた。
その中心だった聖シルヴェストロ教会が残されている。
シンプルなファサードは、1913年から1920年の間に12世紀頃の姿に戻された。
修復以前はこんな風だった。窓や扉がちがっているのがわかる。
いちばん重要なのは、入口の大理石浅浮彫。
モデナ大聖堂と同じ名工ヴィリジェルモとその一門の技。
この修道院の起源がこの部分。ロンゴバルド王アストルフォが義理の兄弟であるアンセルモに修道院建造を許可している。左の王冠を被った人物がアストルフォ王、右の僧衣を来た人物がアンセルモ司教。シンプルな構図のなかでも人物をちゃんと描き分け、ヴィリジェルモ一門のものとすぐにわかる特徴的な目の表現をもっている。もともとは目のところに色石がはまっていたと考えられる。
その二つ上のシーンでは、ローマから聖シルヴェストロの遺体を貰い受けるように法皇にお願いしている図。
当時、教会が聖人の遺骨を所有することでたくさんの巡礼を呼び寄せることが出来た。聖シルヴェストロは伝説ではコンスタンチヌス帝に洗礼を施した人物だから、全キリスト教徒にとって重要なのだ。
※実際にはローマから盗まれてノナントラへきたとか?
地下のクリプトには今も聖人の遺骨が置かれていた。
ここの地下聖堂はモデナ大聖堂の二倍の広さがある。かつてはそれだけの修道院だったのだ。
博物館にはシルヴェストロのシンプルな石棺がある。
よく見ると、756年から1912年までここに納められていた、と書かれている。
書かれたのは当然1912年だろうが、納められたのが756年なのか確証はない。そういうもの。
この年につくられた新たな祭壇がこれ。現在は2012年の地震の後公開されていないようす。
入場予約をしておいたからか、案内のおじさんが、「三分だけだよ」と言って、教会の内部まで案内してくれた。2012年の地震はかなりひどかったらしく、足場もまだまだそのまま。
後陣外側も20世紀初期にかつての姿に戻されている。
かつて、まったく似合わない四角い鐘楼が載せられていたなんて。
写真をよく見ると、壁の下の方によりかかるように家があったのが見える。この家によって、かつてロマネスク時代のクリプトの窓が隠されていた。
当時クリプトはほとんど埋め込まれていたので窓なんて関係なかったのだが、修復によってクリプトが復活させられて、外側も美しい12世紀の雰囲気がよみがえった。
たぶん、12世紀以前の教会にあったのだろう石の浮彫が一部はめこまれている。
一時間ほどの滞在で、付属博物館は見切れなかったが、ここの目玉の一つが、カール大帝直筆とされるサインがある羊皮紙。
常時展示されているのは複製品だが、Kの文字が見えるモノグラムがそれ。
ノナントラ、二回目の訪問で少しその価値が理解できてきた。