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エリア:
- アフリカ > モザンビーク > モザンビークその他の都市
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テーマ:
- 世界遺産
モザンビークの朝は早い。マラウィからはかなり東に来ている為、朝4時半頃にはもう外は明るい。「今日も何かあっては」という心配から、朝5時前にアブジャブさんにモザンビーク島への車が通る道と方向を教えてもらい、道端に荷物を置いて、車を待つ。
30分ほど待つと、シャパが通りかかる。すかさず右手を振ってシャパを止め、「イリヤ?」(モザンビーク島ではこちらではイリヤ・デ・モザンビーク。イリヤと呼ばれているのだ。)ときくと、「Si(ポルトガル語でYes)」。
こんな朝早く、すぐ車がつかまるとは、今日こそはモザンビーク島へ辿り着けそうだ。
我々を荷台に乗せたシャパは快調に走り続ける。畑や小さな集落などの景色が続くとやがて、長方形に区画され水を張られた広大な景色が目に入る。「水田?」とも思ったが、よく見るとあぜ道には白い物が積まれている。塩田だ。
塩田を過ぎると、車一台分の幅しかない細長い橋が延び、海の向こうに小さく平らな島とヤシの木々のシルエットが朝日を背に浮かびあがる。モザンビーク島だ。
橋は結構長く1Km以上はある。橋の上から海を見渡すと、きらめく波光の上に白い帆に風を受けて行き交うダウ船の姿。やっと来た。ここが世界遺産モザンビーク島だ。
橋を渡り、島に入ってシャパを降りて、宿はどうしようかと荷物を背負って道を歩いていると、道端に並ぶ古臭い建物の陰から、おばさんがニコニコして手招きしている。よく見ると、「accmmodation」と壁に描いてある。
中に入って部屋を見せてもらうと、広く清潔な部屋、ファンもある。汲み置き水ではあるが、屋内のシャワー、キッチンも使っていいと言う。
「クアント?(いくら)」ときくと、1人10000MT。昨日のモナポのアブジャブ宅と同料金だ。まあいいだろう。「OK!」。
accmmodation(宿)といっても、部屋は3つしかなく、民宿といった感じだ。
マラウィからここに至る迄で汚れきった衣服を洗濯し、まずは朝食を取って一休み。それからモザンビーク島へゆっくりとくり出した。
今日は日曜日、まだ朝という事もあって、島は人影もまばらでとても静かだ。静まり返っている。
ふらふらと適当に足の向くまま歩いていると、かつてバスコダガマが航海したインド洋を誇らしげに眺めるポルトガル人の古びた銅像の姿が。更に北に進むと、島の北端には高い壁に幾つもの大砲をたずさえた朽ちかけた要塞がそびえる。


要塞の壁のヘリでは、布をまとった地元の人が洗濯に精を出す。朽ちてそのままのヨーロッパ大航海時代の亡きガラと、モザンビークに今生きる人々の生活感。なんともアンマッチで奇妙な取り合わせだ。
要塞の近くの公園のベンチで海を眺めながら一休み。引き潮の海は太陽の陽射しにエメラルド色に輝き、帆に風を受けたエンジンなどない悠久のままのダウ船や、手漕ぎの魚舟が行き交う。背後にはボロボロに老朽化したポルトガル風の家並み。
日曜日の静けさもあいまって、不思議な哀愁がじわじわと漂ってくる。まるで「時が止まっている。」

大航海時代に築かれたまま、そのまま古びて行く街並の中で、様々な歴史を経て住み着いたアフリカ人、アラブ人、インド人。様々な人種がここで暮らし、何とも表現のしようがない独特な雰囲気が伝わってくる。
街中には顔中におしろいを付けたキルワ人の女性も見かけられ、エスニックかつエキゾチック。
ゆっくりと小さい島を一周してもまだお昼過ぎ。だが、昼下がりの陽射しは強烈で、島を歩き回ってもうヘトヘトだ。午後はゆっくりと宿で静養。
苦労して来た事もあって、ここモザンビーク島、独特の哀愁感を味合わせてもらい、来たかいがあったと、夕方、夕暮れの魚市場にたたずむ。
【食事】
朝:パン
昼:パン
夜:自炊パスタ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 1500MT(メディカシュ)
・シャパ モナポ→モザンビーク島 1.5時間 20000MT/1人
【宿】A LOJAMENT 10000MT/W一室二人利用で一人当り
30分ほど待つと、シャパが通りかかる。すかさず右手を振ってシャパを止め、「イリヤ?」(モザンビーク島ではこちらではイリヤ・デ・モザンビーク。イリヤと呼ばれているのだ。)ときくと、「Si(ポルトガル語でYes)」。
こんな朝早く、すぐ車がつかまるとは、今日こそはモザンビーク島へ辿り着けそうだ。
我々を荷台に乗せたシャパは快調に走り続ける。畑や小さな集落などの景色が続くとやがて、長方形に区画され水を張られた広大な景色が目に入る。「水田?」とも思ったが、よく見るとあぜ道には白い物が積まれている。塩田だ。
塩田を過ぎると、車一台分の幅しかない細長い橋が延び、海の向こうに小さく平らな島とヤシの木々のシルエットが朝日を背に浮かびあがる。モザンビーク島だ。
橋は結構長く1Km以上はある。橋の上から海を見渡すと、きらめく波光の上に白い帆に風を受けて行き交うダウ船の姿。やっと来た。ここが世界遺産モザンビーク島だ。
橋を渡り、島に入ってシャパを降りて、宿はどうしようかと荷物を背負って道を歩いていると、道端に並ぶ古臭い建物の陰から、おばさんがニコニコして手招きしている。よく見ると、「accmmodation」と壁に描いてある。
中に入って部屋を見せてもらうと、広く清潔な部屋、ファンもある。汲み置き水ではあるが、屋内のシャワー、キッチンも使っていいと言う。
「クアント?(いくら)」ときくと、1人10000MT。昨日のモナポのアブジャブ宅と同料金だ。まあいいだろう。「OK!」。
accmmodation(宿)といっても、部屋は3つしかなく、民宿といった感じだ。
マラウィからここに至る迄で汚れきった衣服を洗濯し、まずは朝食を取って一休み。それからモザンビーク島へゆっくりとくり出した。
今日は日曜日、まだ朝という事もあって、島は人影もまばらでとても静かだ。静まり返っている。
ふらふらと適当に足の向くまま歩いていると、かつてバスコダガマが航海したインド洋を誇らしげに眺めるポルトガル人の古びた銅像の姿が。更に北に進むと、島の北端には高い壁に幾つもの大砲をたずさえた朽ちかけた要塞がそびえる。


要塞の壁のヘリでは、布をまとった地元の人が洗濯に精を出す。朽ちてそのままのヨーロッパ大航海時代の亡きガラと、モザンビークに今生きる人々の生活感。なんともアンマッチで奇妙な取り合わせだ。
要塞の近くの公園のベンチで海を眺めながら一休み。引き潮の海は太陽の陽射しにエメラルド色に輝き、帆に風を受けたエンジンなどない悠久のままのダウ船や、手漕ぎの魚舟が行き交う。背後にはボロボロに老朽化したポルトガル風の家並み。
日曜日の静けさもあいまって、不思議な哀愁がじわじわと漂ってくる。まるで「時が止まっている。」

大航海時代に築かれたまま、そのまま古びて行く街並の中で、様々な歴史を経て住み着いたアフリカ人、アラブ人、インド人。様々な人種がここで暮らし、何とも表現のしようがない独特な雰囲気が伝わってくる。
街中には顔中におしろいを付けたキルワ人の女性も見かけられ、エスニックかつエキゾチック。
ゆっくりと小さい島を一周してもまだお昼過ぎ。だが、昼下がりの陽射しは強烈で、島を歩き回ってもうヘトヘトだ。午後はゆっくりと宿で静養。
苦労して来た事もあって、ここモザンビーク島、独特の哀愁感を味合わせてもらい、来たかいがあったと、夕方、夕暮れの魚市場にたたずむ。
【食事】
朝:パン
昼:パン
夜:自炊パスタ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 1500MT(メディカシュ)
・シャパ モナポ→モザンビーク島 1.5時間 20000MT/1人
【宿】A LOJAMENT 10000MT/W一室二人利用で一人当り