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八角街(バルコル)
ラサの旧市街の中心部にある。八角街とは巡礼環状路を意味し、大昭寺の中を一巡する道をナンコル、街を囲む道はリンゴルと呼ばれる。八角街はラサ市で唯一の商店街で、日本の門前町のような所でチベットの伝統的な住居や市街が昔のままに保存されている。細工物、日用雑貨、骨董品、チベットの民芸品などを扱う店が軒を連ねており、ショッピングに最適な場所だ。チベット仏教の信者は、八角街の道を五体投地をしながら、またはマニ車をまわしながらこの聖なる道を右回りに進んで行く。五体投地とは、全身を地面に投げだす祈りの方法。念仏をとなえながら回すマニ車は巻き紙状の経文が入った筒で、その筒を一回転すると1回経を読んだことになる。


ラサの旧市街の中心部にある。八角街とは巡礼環状路を意味し、大昭寺の中を一巡する道をナンコル、街を囲む道はリンゴルと呼ばれる。八角街はラサ市で唯一の商店街で、日本の門前町のような所でチベットの伝統的な住居や市街が昔のままに保存されている。細工物、日用雑貨、骨董品、チベットの民芸品などを扱う店が軒を連ねており、ショッピングに最適な場所だ。チベット仏教の信者は、八角街の道を五体投地をしながら、またはマニ車をまわしながらこの聖なる道を右回りに進んで行く。五体投地とは、全身を地面に投げだす祈りの方法。念仏をとなえながら回すマニ車は巻き紙状の経文が入った筒で、その筒を一回転すると1回経を読んだことになる。



- タシルンポ寺(扎什倫布寺)
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エリア:
- アジア>中国>日喀則(シガツェ)
- テーマ:観光地
- 投稿日:2010/06/17 12:42
- コメント(0)
タシルンポ寺(扎什倫布寺)
パンチェン・ラマの居所
タシルンポとはチベット語で「幸せの山」。1447年ゲドゥン・ドゥルプ(根敦主巴、後の初代ダライ・ラマ)により、建立され、1600年パンチェン・ラマ4世の時に拡張して以来、歴代パンチェン・ラマが治めるようになった。南チベット最大のゲルグ派の寺で、境内には歴代パンチェン・ラマの霊塔を安置する霊塔殿、ドゥルプの遺骨を納めた大殿、高さ26.7mの弥勒仏が安置される弥勒大仏堂などが立つ。


パンチェン・ラマの居所
タシルンポとはチベット語で「幸せの山」。1447年ゲドゥン・ドゥルプ(根敦主巴、後の初代ダライ・ラマ)により、建立され、1600年パンチェン・ラマ4世の時に拡張して以来、歴代パンチェン・ラマが治めるようになった。南チベット最大のゲルグ派の寺で、境内には歴代パンチェン・ラマの霊塔を安置する霊塔殿、ドゥルプの遺骨を納めた大殿、高さ26.7mの弥勒仏が安置される弥勒大仏堂などが立つ。



- ノルブリンカ(羅布林卞)
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エリア:
- アジア>中国>中国その他の都市
- テーマ:観光地
- 投稿日:2010/06/16 16:38
- コメント(0)
ノルブリンカ(羅布林卞)
世界文化遺産
ダライ・ラマの夏の宮殿として利用されていた。1740年代、ダライ・ラマ7世の病気の療養の為にここに建てられ、1954年には新宮のタクタンポタンが増築され、現在に至っている。ノルブは宝石、リンカは公園の意味の通り、美しい木々の植え込みの中に宮殿や池がバランスよく配されている。総面積は36万平米。公開されているのは、タクタンポタン(13世)の三棟で、シャデンラカンは展示館になっている。元代の貝葉経、ダライ・ラマ5世に贈られた金印、10-17世紀の出土品など、興味深いものが一堂に展示されている。タクタンポタンはダライ・ラマ14世の住居で、書斎、仏間、バスルームなどに分かれ、近代建築を所々に取り入れたチベット様式の部屋が見学できる。
毎年のショトゥン祭りにチベットオペラがここに上演されて、特に賑やかである。

世界文化遺産
ダライ・ラマの夏の宮殿として利用されていた。1740年代、ダライ・ラマ7世の病気の療養の為にここに建てられ、1954年には新宮のタクタンポタンが増築され、現在に至っている。ノルブは宝石、リンカは公園の意味の通り、美しい木々の植え込みの中に宮殿や池がバランスよく配されている。総面積は36万平米。公開されているのは、タクタンポタン(13世)の三棟で、シャデンラカンは展示館になっている。元代の貝葉経、ダライ・ラマ5世に贈られた金印、10-17世紀の出土品など、興味深いものが一堂に展示されている。タクタンポタンはダライ・ラマ14世の住居で、書斎、仏間、バスルームなどに分かれ、近代建築を所々に取り入れたチベット様式の部屋が見学できる。
毎年のショトゥン祭りにチベットオペラがここに上演されて、特に賑やかである。


- ジョカン寺(大昭寺)
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エリア:
- アジア>中国>成都(セイト)
- テーマ:観光地
- 投稿日:2010/06/15 11:30
- コメント(0)
ジョカン寺(大昭寺)
世界文化遺産
チベットのラサ市の中心にある大昭寺は7世紀の吐蕃時代に建立されたものであり、1000年以上の歴史を持つ。ポタラ宮と共に、チベット族の重要な宗教活動の場で、仏教信徒が憧れる巡礼の聖地である。チベット族の人々は一度は巡礼したいお寺でもある。
唐から嫁いだ文成公主が場所を選定し、ネパールから興入れしたティツィン王妃が建立したと言われている。4階建てで、ネパール仏教様式の影響を表す金色の屋根が特徴的だ。
本堂には文成公主が持参したと伝えられた12歳の釈迦牟尼が本尊として祭られている。本堂近くの小堂にソンツァンガンポと文成公主、ティツィン妃の像が納められている。他にも唐代の経典、楽器など多くの文物が保存されている。周りには巡礼者が読経したり、五体投地しながら巡っている場面がよく見られる。


世界文化遺産
チベットのラサ市の中心にある大昭寺は7世紀の吐蕃時代に建立されたものであり、1000年以上の歴史を持つ。ポタラ宮と共に、チベット族の重要な宗教活動の場で、仏教信徒が憧れる巡礼の聖地である。チベット族の人々は一度は巡礼したいお寺でもある。
唐から嫁いだ文成公主が場所を選定し、ネパールから興入れしたティツィン王妃が建立したと言われている。4階建てで、ネパール仏教様式の影響を表す金色の屋根が特徴的だ。
本堂には文成公主が持参したと伝えられた12歳の釈迦牟尼が本尊として祭られている。本堂近くの小堂にソンツァンガンポと文成公主、ティツィン妃の像が納められている。他にも唐代の経典、楽器など多くの文物が保存されている。周りには巡礼者が読経したり、五体投地しながら巡っている場面がよく見られる。



ポタラ宮
世界文化遺産
チベットのシンボルといえる偉容を誇る宮殿だ。ポタラとは中国語で「普陀落」と書き、観音菩薩の霊山を意味する。そもそもチベットを最初に統一したソンツァンガンポ(松賛干布617--650年)が唐王朝から迎えた妃、文成公主の為に建立したと言われている。その後戦乱や災害で幾度も破壊を受けたが、ダライ・ラマ5世のロブサン・ギャツォ(羅桑嘉錯1617-1682年)の時代に大規模な改修工事を行い、現在の姿の原型が完成し、断続的に改修が行われていた。ダライ・ラマ13世のツブタン・ギャツォ(土登嘉錯1870年-1933年)の時代にデフン寺から政府へ移管し、歴代のダライ・ラマの冬の居城として使用するようになった。それ以降チベットの宗教・政治活動を司る宮殿となる。
宮殿は下層の白い部分の白宮と上層の赤い部分の紅宮から構成されている。白宮の7階がダライ・ラマの住居で、西日光殿には13世のダライ・ラマの部屋がある。8階以上の紅宮には歴代のダライ・ラマの霊塔が安置されている。白宮の文成公主入蔵図、西大殿の第5代ダライ・ラマの清順治帝接見図などの壁画、時輪仏殿の立体曼陀羅が主な見所。歴代のダライ・ラマの霊塔も素晴らしい。特に5世と13世の霊塔がみもの。5世の霊塔は高さ15mで、5,000kg以上の黄金が使われ、瑪瑙、翡翠など1万5000個以上の宝石で飾られている。
世界文化遺産
チベットのシンボルといえる偉容を誇る宮殿だ。ポタラとは中国語で「普陀落」と書き、観音菩薩の霊山を意味する。そもそもチベットを最初に統一したソンツァンガンポ(松賛干布617--650年)が唐王朝から迎えた妃、文成公主の為に建立したと言われている。その後戦乱や災害で幾度も破壊を受けたが、ダライ・ラマ5世のロブサン・ギャツォ(羅桑嘉錯1617-1682年)の時代に大規模な改修工事を行い、現在の姿の原型が完成し、断続的に改修が行われていた。ダライ・ラマ13世のツブタン・ギャツォ(土登嘉錯1870年-1933年)の時代にデフン寺から政府へ移管し、歴代のダライ・ラマの冬の居城として使用するようになった。それ以降チベットの宗教・政治活動を司る宮殿となる。
宮殿は下層の白い部分の白宮と上層の赤い部分の紅宮から構成されている。白宮の7階がダライ・ラマの住居で、西日光殿には13世のダライ・ラマの部屋がある。8階以上の紅宮には歴代のダライ・ラマの霊塔が安置されている。白宮の文成公主入蔵図、西大殿の第5代ダライ・ラマの清順治帝接見図などの壁画、時輪仏殿の立体曼陀羅が主な見所。歴代のダライ・ラマの霊塔も素晴らしい。特に5世と13世の霊塔がみもの。5世の霊塔は高さ15mで、5,000kg以上の黄金が使われ、瑪瑙、翡翠など1万5000個以上の宝石で飾られている。

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