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エリア:
- アジア > バングラデシュ > ダッカ
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テーマ:
- お祭り・イベント
- / 歴史・文化・芸術
2月21日は、言語運動記念日でした。
かつてパキスタン領だったバングラデシュは、ウルドゥ語の使用を強制されていた時期がありました。ところが1952年の2月21日に、ベンガル語を公用語とするための言語運動が、ダッカ大学の学生たちによって起き、パキスタン軍と衝突したベンガル人の学生が亡くなりました。この日を忘れないために、全国各地に言語記念塔(ショヒッド・ミナール)が建てられ、毎年この日になると、ダッカの記念塔には何万人もの人が訪れ、献花を捧げるのです。
バングラデシュでのこうした運動を受けて、2月21日は、UNESCOより国際母語の日と制定されています。
ベンガル語を守るために独立した国バングラデシュを一番よく知ることができるのが、この言語運動記念日。今回は、その日の様子を余すところなくお伝えしたいと思います!
私がダッカ大学に着いたのは、朝の6時。この時すでに大統領や首相が慰問を終えた後で、これからまた混み始めるという感じでした。(献花自体は、21日の0時になったらスタートします。)
入り口では、花売りの人が献花用の花を売っています。オレンジと黄色が主流です。
バングラデシュの国旗や「2月21日」と書かれた鉢巻き?なども、色々なところで販売。
また、地面の至るところにアルポナと呼ばれる伝統的な模様が描かれ、とてもカラフルでした。
壁面にもアートが。2月21日を記念した歌があるのですが、その歌詞の一節が描かれています。意味は「私たちの兄弟の血が、2月21日に流された。この出来事を、どうして忘れることができようか?」というもの。
さてショヒッド・ミナール付近に着いてみると、すでに献花のための列ができていました。
見て下さい、このすごい人の数。これは列のほんの一部ですが、500mくらい続いていたと思います。(しかもそれが一日中)
献花には、団体、個人と分かれて並びます。団体の人たちは、こうした横断幕を持ち、準備します。
ちなみにこの日は、亡くなった方々への敬意を示すため、白と黒の衣装を着るんだそう。(これも時代の流れとともに少しずつ変わってきてしまっているらしいですが…)
私も、白と黒のサリーを着て、記念塔の前で写真を撮りました。(この日は撮影で行ったので、共演者の女性と。)
さて、こちらがそのショヒッド・ミナール。真ん中の大きな塔が親で、周りの小さいのが子どもを表しているんだとか。塔の前には、献花された花を使ったアートが広がっています。目を見張るくらいキレイな光景でした。
子どもたちも、鉢巻きを巻き、フェイスペインティングをして参加していました。
写真には写っていませんが、外国人の方々も白と黒のサリーをきれいに着こなして、献花にいらしていましたよ。
私の知る限りですが、自分たちの言葉を守るために血を流して戦ったのは、世界広しといえども、バングラデシュくらいなのではないでしょうか。この日の様子は、一見の価値がありますし、参加してみると母語の大切さというものに気付かされます。
ちなみに、日本の池袋西口公園にも言語記念塔があるそうですので、ぜひ訪れてみて下さい!
また、来年のこの時期にバングラデシュへいらっしゃる方には、ぜひ言語記念塔を訪れ、あの雰囲気を感じて頂きたいと思います!
かつてパキスタン領だったバングラデシュは、ウルドゥ語の使用を強制されていた時期がありました。ところが1952年の2月21日に、ベンガル語を公用語とするための言語運動が、ダッカ大学の学生たちによって起き、パキスタン軍と衝突したベンガル人の学生が亡くなりました。この日を忘れないために、全国各地に言語記念塔(ショヒッド・ミナール)が建てられ、毎年この日になると、ダッカの記念塔には何万人もの人が訪れ、献花を捧げるのです。
バングラデシュでのこうした運動を受けて、2月21日は、UNESCOより国際母語の日と制定されています。
ベンガル語を守るために独立した国バングラデシュを一番よく知ることができるのが、この言語運動記念日。今回は、その日の様子を余すところなくお伝えしたいと思います!
私がダッカ大学に着いたのは、朝の6時。この時すでに大統領や首相が慰問を終えた後で、これからまた混み始めるという感じでした。(献花自体は、21日の0時になったらスタートします。)
入り口では、花売りの人が献花用の花を売っています。オレンジと黄色が主流です。
バングラデシュの国旗や「2月21日」と書かれた鉢巻き?なども、色々なところで販売。
また、地面の至るところにアルポナと呼ばれる伝統的な模様が描かれ、とてもカラフルでした。
壁面にもアートが。2月21日を記念した歌があるのですが、その歌詞の一節が描かれています。意味は「私たちの兄弟の血が、2月21日に流された。この出来事を、どうして忘れることができようか?」というもの。
さてショヒッド・ミナール付近に着いてみると、すでに献花のための列ができていました。
見て下さい、このすごい人の数。これは列のほんの一部ですが、500mくらい続いていたと思います。(しかもそれが一日中)
献花には、団体、個人と分かれて並びます。団体の人たちは、こうした横断幕を持ち、準備します。
ちなみにこの日は、亡くなった方々への敬意を示すため、白と黒の衣装を着るんだそう。(これも時代の流れとともに少しずつ変わってきてしまっているらしいですが…)
私も、白と黒のサリーを着て、記念塔の前で写真を撮りました。(この日は撮影で行ったので、共演者の女性と。)
さて、こちらがそのショヒッド・ミナール。真ん中の大きな塔が親で、周りの小さいのが子どもを表しているんだとか。塔の前には、献花された花を使ったアートが広がっています。目を見張るくらいキレイな光景でした。
子どもたちも、鉢巻きを巻き、フェイスペインティングをして参加していました。
写真には写っていませんが、外国人の方々も白と黒のサリーをきれいに着こなして、献花にいらしていましたよ。
私の知る限りですが、自分たちの言葉を守るために血を流して戦ったのは、世界広しといえども、バングラデシュくらいなのではないでしょうか。この日の様子は、一見の価値がありますし、参加してみると母語の大切さというものに気付かされます。
ちなみに、日本の池袋西口公園にも言語記念塔があるそうですので、ぜひ訪れてみて下さい!
また、来年のこの時期にバングラデシュへいらっしゃる方には、ぜひ言語記念塔を訪れ、あの雰囲気を感じて頂きたいと思います!