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エリア:
- アジア > スリランカ > ティッサマハラーマ
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テーマ:
- 観光地
- / 街中・建物・景色
- / お祭り・イベント
帰路につくお話の前に前回のおさらい。
なぜカタラガマのキリヴィハーラは大事?
============================
スリランカの昔話では仏陀が三度スリランカに来たと言われている。
三回目に来たとき仏陀は当時(BC580頃)カタラガマ地域の王様であった
マハセーナ王様とあったらしい。王様が仏陀と会って説法を聞いた場所に
キリヴィハーラが造られたと言われている。
============================
さてAM10時ごろカタラガマを出発し帰路についた我ら家族一行ですが
私の秘かな期待に反してまだお寺詣りは終わってはいなかったのでした。
カタラガマから出て割とすぐに、遠くに見えた白い大きなダーガバが
どんどん近付いてくると その憂鬱な予感が現実のものとなりました。
「ティッサマハラーマ Thissamaharamaya」のダーガバは青空に
くっきりと浮き立つように存在し、周辺ののんびりした風情の露店が並ぶ
駐車場に車を停めるとここで(また)お参りすることがわかったのでした。
日本に来た外国人が、観光であまりにも鳥居を見過ぎて「鳥居もういいよ」って言ったことがあるのを思い出したもんです。
「ダーガバもういいよ」っていうのがホントのところでしたが、あまり観光化されていない敷居の低い、地元密着型の
美しい外観のお寺へ向かっていくにつれ、結構なかなかいいところかも、などと気を取り直した
のでした。
ダーガバまでのまっすぐな大通りの両側には土産物屋がポツポツあって、焼き物などの日用品までが安く売られていたりします。
遠足か校外学習なのか制服を着た中学生くらいの子供たちが団体でやってきており、
サリーを着た女性の先生がきちきちと引率してました。
【 青空に浮かぶ白い仏舎利 〜 ティッサマハラーマ】
ティッサマハラーマ Thissamaharamayaはカタラガマから南南西の位置にあります。
昔この地域はマーガマ(MAGAMA)とも呼んでました。マーガマは現在のルフナです。
ティッサにあるchaitya(ダーガバ)と湖は有名です。
このダーガバと湖を作ったのはスリランカの優れた王様だった Devanampiyatissa王
(この王の時代にスリランカに仏教が来ました。ミヒンデュARAHATH が仏教をもたらした。)
の兄弟であるMahanaga(マハーナーガ)が作ったそうです。
------------------------------------------------------------------------------
ダーガバの手前まで来ると、大体どこにでもある手や花を洗う水道があって、履物も脱いで
お参りをします。
家族は大体一緒に行動するのですが、お参りの時だけは 何となく完全に個人の状態になって
おり、いつのまにか私の好きな時間になっていたりします。
時計回りにダーガバの周りを歩きながら花を供えて、ゆっくりとした気分で波乱の人生だったブッダのことを考えていると、外国で暮らす瑣末な自分の心のもやもやも一時的に晴れてくる
のでした。
一周してから本堂のような仏像のある場所でお祈りして、中学生たちの注目を浴びながら
ダーガバの敷地内を出て 割とあっさりしたお参りで終わり。
通りを戻る途中、落花生を売るおばあさんがいたので値段を聞くとだいぶ高かいのですが
物乞いするわけでもなく、こうして何らかの商売をやる人は応援したほうが良い、と。
落花生の産地・千葉県に住んでいたこともあってその落花生の味には一言あったのですが、
そういう理由を聞かされたのであえて買うのを反対しなかったのでした。
家族たちと一緒に落花生をつまみながら車に乗って出発。
とりあえずティッサが最後のお参りだったらしくホッと一安心。
これで本当に帰って落ち着けるんだと考えると睡魔が襲ってきて何度か後部座席で船を漕いで
しまいました。
スリランカの道路の質は善し悪しの差が激しくて、良い処は非常に滑らかで素晴らしいのです
が ひどい処になると陥没していたり 凸凹が激しくて車の揺れが長時間乗っていると体に大きな
負担となってきます。今回の車はサスペンションが良かったからそうでもなかったけれど、
ACも無いサスのきいて無い車だったら疲れは多分ひどいものになっただろうと思います。
帰り道は行きと違って、南沿岸部の主要都市ハンバントータ Hambantotaのまっーすぐで滑らか
な道路を走り快適。
道路の進行方向左側には小さく 画一化された住居が沢山あり、スリランカらしくない風景で
珍しかったのですがスマトラ沖地震の津波被害にあった人々の為の住居だそうです。
家の中にガスや電気もあるのでしょうけど、煮炊きを屋外で薪で行っているところが
目立ちました。
帰り道に手土産を持って遠縁の家というところに寄って休憩。
庭で採れたココナッツジュースを振る舞われ、ソファに座って涼しい部屋にいたら
いつの間にかこっくりこっくり寝ていました。小母さんもかなり熟睡。
皆やっぱり疲れているんだな〜。
13時近く、家の奥さんにお昼御飯まで用意して頂いてご馳走になってしまい、恐縮至極。
予告もせずに行って(しかも昼メシどき)豪勢な食事を用意してもらうなんて、日本では
ちょっとあり得ない感覚。でもそこがスリランカの人のホスピタリティで皆いやな顔せず
歓待してくれます。
ちょっと寝て、食べたら疲れも少し取れて出発することに。
別れる際にスリランカ式に親戚の目上の方の前にひざまづいて両手を合わせ
足に触れました。ワディナワというかしこまった挨拶で、私も親戚や僧侶にたびたび行います。
車に乗って発進!運転するのは夫なので、私は後ろで寝てればいいのですから疲れたとか
言えません。
14時過ぎから空が曇りポツポツと小雨が降ってきました。
疲れたのか静かになってずーっと黙っていた家族たちも道路の端に出現する
地元産の野菜や果物の露店を見ると動きだして、車を停めて品定め。
品物が良く安いものを探して、うんざりもせずに何件も何件も停まっては降り、
停まっては降りを繰り返す。なんてタフなんだよ〜!とちょっとだけゲンナリしながらも
一緒に行かざるを得ない新米嫁。
100円くらいの差なんて良くね? なーんて間違っても言えない雰囲気です。
雨が多くて路面が濡れていたせいか途中で事故車に遭遇しました。なんと選挙カーらしい。
無理な追い越しか、避けようとしたのか、岩の壁に斜めから衝突しておりちょっと見ただけでも、助手席がないことが分かりました。随分飛ばしていたのかなと思えるほどにタイヤの跡が
道路にくっきり残っていました。
次第に辺りも暗くなり、うとうとしては起き、気がついたら家の近くの町まで来ていました。
全員くたびれ果てて20時ごろ家に到着。
ドライバーさんやお手伝いの人、隣に住む義理の姉夫婦に迎えられて、とりあえず荷物を
おろして旅を終えたのでした。
なにかと体力勝負のカタラガマへの巡礼の旅。
一番印象に残ったのは何と言ってもカタラガマ。別世界の神殿内、心温かなオーナーの居る
宿泊所、プージャ。
いつかまた行って、体験したいカタラガマへの旅なのです。
おわり
なぜカタラガマのキリヴィハーラは大事?
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スリランカの昔話では仏陀が三度スリランカに来たと言われている。
三回目に来たとき仏陀は当時(BC580頃)カタラガマ地域の王様であった
マハセーナ王様とあったらしい。王様が仏陀と会って説法を聞いた場所に
キリヴィハーラが造られたと言われている。
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さてAM10時ごろカタラガマを出発し帰路についた我ら家族一行ですが
私の秘かな期待に反してまだお寺詣りは終わってはいなかったのでした。
カタラガマから出て割とすぐに、遠くに見えた白い大きなダーガバが
どんどん近付いてくると その憂鬱な予感が現実のものとなりました。
「ティッサマハラーマ Thissamaharamaya」のダーガバは青空に
くっきりと浮き立つように存在し、周辺ののんびりした風情の露店が並ぶ
駐車場に車を停めるとここで(また)お参りすることがわかったのでした。
日本に来た外国人が、観光であまりにも鳥居を見過ぎて「鳥居もういいよ」って言ったことがあるのを思い出したもんです。
「ダーガバもういいよ」っていうのがホントのところでしたが、あまり観光化されていない敷居の低い、地元密着型の
美しい外観のお寺へ向かっていくにつれ、結構なかなかいいところかも、などと気を取り直した
のでした。
ダーガバまでのまっすぐな大通りの両側には土産物屋がポツポツあって、焼き物などの日用品までが安く売られていたりします。
遠足か校外学習なのか制服を着た中学生くらいの子供たちが団体でやってきており、
サリーを着た女性の先生がきちきちと引率してました。
【 青空に浮かぶ白い仏舎利 〜 ティッサマハラーマ】
ティッサマハラーマ Thissamaharamayaはカタラガマから南南西の位置にあります。
昔この地域はマーガマ(MAGAMA)とも呼んでました。マーガマは現在のルフナです。
ティッサにあるchaitya(ダーガバ)と湖は有名です。
このダーガバと湖を作ったのはスリランカの優れた王様だった Devanampiyatissa王
(この王の時代にスリランカに仏教が来ました。ミヒンデュARAHATH が仏教をもたらした。)
の兄弟であるMahanaga(マハーナーガ)が作ったそうです。
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ダーガバの手前まで来ると、大体どこにでもある手や花を洗う水道があって、履物も脱いで
お参りをします。
家族は大体一緒に行動するのですが、お参りの時だけは 何となく完全に個人の状態になって
おり、いつのまにか私の好きな時間になっていたりします。
時計回りにダーガバの周りを歩きながら花を供えて、ゆっくりとした気分で波乱の人生だったブッダのことを考えていると、外国で暮らす瑣末な自分の心のもやもやも一時的に晴れてくる
のでした。
一周してから本堂のような仏像のある場所でお祈りして、中学生たちの注目を浴びながら
ダーガバの敷地内を出て 割とあっさりしたお参りで終わり。
通りを戻る途中、落花生を売るおばあさんがいたので値段を聞くとだいぶ高かいのですが
物乞いするわけでもなく、こうして何らかの商売をやる人は応援したほうが良い、と。
落花生の産地・千葉県に住んでいたこともあってその落花生の味には一言あったのですが、
そういう理由を聞かされたのであえて買うのを反対しなかったのでした。
家族たちと一緒に落花生をつまみながら車に乗って出発。
とりあえずティッサが最後のお参りだったらしくホッと一安心。
これで本当に帰って落ち着けるんだと考えると睡魔が襲ってきて何度か後部座席で船を漕いで
しまいました。
スリランカの道路の質は善し悪しの差が激しくて、良い処は非常に滑らかで素晴らしいのです
が ひどい処になると陥没していたり 凸凹が激しくて車の揺れが長時間乗っていると体に大きな
負担となってきます。今回の車はサスペンションが良かったからそうでもなかったけれど、
ACも無いサスのきいて無い車だったら疲れは多分ひどいものになっただろうと思います。
帰り道は行きと違って、南沿岸部の主要都市ハンバントータ Hambantotaのまっーすぐで滑らか
な道路を走り快適。
道路の進行方向左側には小さく 画一化された住居が沢山あり、スリランカらしくない風景で
珍しかったのですがスマトラ沖地震の津波被害にあった人々の為の住居だそうです。
家の中にガスや電気もあるのでしょうけど、煮炊きを屋外で薪で行っているところが
目立ちました。
帰り道に手土産を持って遠縁の家というところに寄って休憩。
庭で採れたココナッツジュースを振る舞われ、ソファに座って涼しい部屋にいたら
いつの間にかこっくりこっくり寝ていました。小母さんもかなり熟睡。
皆やっぱり疲れているんだな〜。
13時近く、家の奥さんにお昼御飯まで用意して頂いてご馳走になってしまい、恐縮至極。
予告もせずに行って(しかも昼メシどき)豪勢な食事を用意してもらうなんて、日本では
ちょっとあり得ない感覚。でもそこがスリランカの人のホスピタリティで皆いやな顔せず
歓待してくれます。
ちょっと寝て、食べたら疲れも少し取れて出発することに。
別れる際にスリランカ式に親戚の目上の方の前にひざまづいて両手を合わせ
足に触れました。ワディナワというかしこまった挨拶で、私も親戚や僧侶にたびたび行います。
車に乗って発進!運転するのは夫なので、私は後ろで寝てればいいのですから疲れたとか
言えません。
14時過ぎから空が曇りポツポツと小雨が降ってきました。
疲れたのか静かになってずーっと黙っていた家族たちも道路の端に出現する
地元産の野菜や果物の露店を見ると動きだして、車を停めて品定め。
品物が良く安いものを探して、うんざりもせずに何件も何件も停まっては降り、
停まっては降りを繰り返す。なんてタフなんだよ〜!とちょっとだけゲンナリしながらも
一緒に行かざるを得ない新米嫁。
100円くらいの差なんて良くね? なーんて間違っても言えない雰囲気です。
雨が多くて路面が濡れていたせいか途中で事故車に遭遇しました。なんと選挙カーらしい。
無理な追い越しか、避けようとしたのか、岩の壁に斜めから衝突しておりちょっと見ただけでも、助手席がないことが分かりました。随分飛ばしていたのかなと思えるほどにタイヤの跡が
道路にくっきり残っていました。
次第に辺りも暗くなり、うとうとしては起き、気がついたら家の近くの町まで来ていました。
全員くたびれ果てて20時ごろ家に到着。
ドライバーさんやお手伝いの人、隣に住む義理の姉夫婦に迎えられて、とりあえず荷物を
おろして旅を終えたのでした。
なにかと体力勝負のカタラガマへの巡礼の旅。
一番印象に残ったのは何と言ってもカタラガマ。別世界の神殿内、心温かなオーナーの居る
宿泊所、プージャ。
いつかまた行って、体験したいカタラガマへの旅なのです。
おわり
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