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エリア:
- アジア > ネパール > ネパールその他の都市
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テーマ:
- 街中・建物・景色
コカナ(Khokana)は、カトマンズから車で1時間あまり、カトマンズ盆地の3つの古都のひとつラリトプルにある、ネワール族が暮らす昔からの村です。
村を歩くと、ネパール語とは異なるネワール語が聞こえてくる村です。
私は、コカナ村へ、2013年5月1日から2021年11月12日までの間に10回行きました。
初めて行った日は、
村の中心部を貫く道の両側に並ぶ古い家並みが、
そのまま村の歴史を語っているような印象を受けました。
両側の家並みを見ながら進むと、「コカナ・ミュージアム」がありました。
ネパールで最初の電気がきた家でした。
家の中を見せてもらった後、再び道を進むと、
左手にお寺(ヒンドゥ教)が見えてきました。
村と同じく、歴史ありそうな寺でした。
そして、さらに進むと、家並みが終わり、代わりに目の下に田んぼが広がりました。
下から上へ広がってゆく田んぼ。広々とした一面の田んぼ。
その向こうに見えるヒマラヤ。
山の中で育った私ですから、広々と広がる田んぼは知りませんが、
なぜか、コカナの田んぼは、私のこころのふるさとになりました。
そして、コカナが忘れられずに、心ひかれて、コカナへ行きました。
田んぼの向こうにヒマラヤの山並みが見えるのですが、
私の目が見て、さらにカメラにも写ってくれたのは、
最初の日(2013年5月1日)と最後の日(2021年11月12日)の2回のみでした。
コカナに心囚われたのは、
一面の田んぼと、その真中に立っているこんもりした木でした。
私は、それを大きな木と呼び、田んぼとともに私のコカナの象徴になりました。
田んぼは、季節季節のさまざまな表情を見せてくれました。
田植え後の苗が育って、一面濃い緑色で埋め尽くされた田んぼ。
秋、実った稲が収穫の日を待っている田んぼ。
稲がなくなり、段々田んぼであることがひと目でわかる冬から田植え前にかけての田んぼ。
冬の、乾いたあぜ道を歩く楽しさ。
これぜ〜んぶ、私のこころのふるさとの田んぼ!!と、
両手を広げて田んぼの空気を吸いました。
一方、「大きな木」は、葉っぱが茂っている季節も、葉が落ちた季節にも、
いつも大きな存在を示していました。
村を通り抜けて、その日初めて田んぼに出合ったときのこころのときめきは、
何回来ても変わることはありませんでした。
そして、大きな木が変わらずに立っていることを確かめて、
私のコカナにやって来た、といつも思っていました。
ところが、最後の日(2021年11月12日)、
目の下に開けている田んぼを見たとき、あれっ、なんか変・・・と思いました。
前回から3年のブランクがありましたが、
私が覚えているコカナの田んぼとは様子が違っていました。
私が覚えているコカナの田んぼは、
私が見る範囲では、大きな木以外は、すべて田んぼだったはず・・・。
それが違っている。
頭の中がゴチャゴチャになって、目の下の光景をすぐにのみ込めませんでした。
・・・大きな木を挟んで、レストランができていました。
そして、その他にもそれらしい囲いをした田んぼが・・・。
私のコカナの田んぼが寸断され、大きな木の存在感は薄れていました・・・
大きな木を挟むように、2つのレストランがオープンしていました。
店の人に話を聞くと、レストランの所有者は田んぼの持ち主で、
開店して8ヶ月くらいになるとのことでした。
米作りをやめて、レストラン業へ転向したことについてはたずねませんでした。
ネパールの多くの場所で、こうした変化が見られていると同行者から聞かされたからです。
大きな木の下へ行きましたが、
大きな木の周りには、以前はあった自由な空間がありませんでした。
この大きな木、コカナのシンボルとして新聞にもよく載りました。
夕日の中、シルエットになった農婦が、農具を肩に、大きな木の横を歩いて家へ向かう写真。新聞に載ったその写真が私の頭に浮かびました。
でも、今の大きな木は、そうした情緒あふれる写真を撮る対象にはなりえません。
最後の思い出にと、昼の陽を受けている葉っぱだけを撮りました。
コカナ村を歩くと、そこで暮らす人たちの生活の様子に触れます。
●コカナ村は、訪れる外国人観光客から入村料をもらって、その古い家並みを見てもらっていました。私も、外国人グループと一緒になったことがあります。
2015年4月25日のネパール地震後は、看板を外して、オフィスを閉じています。
●コカナはネワール族の村です。
村の中を歩くと、住民が聞き慣れない言葉、ネワール語でやりとりをしています。
働く人も、憩う人も、静かで、穏やかに見えます。
(この家では結婚式があることを知らせる幕。「結婚おめでとう。ようこそ」と書かれています)
(泣き役を先頭に、田んぼの中を行く葬列)
●コカナ村とネパール地震
2015年4月25日のネパール地震では、コカナ村も被害を受けました。
私は、日本の友達が送ってくれた見舞金を文房具にかえて、地震の2ヶ月後、コカナの学校を訪れました。
* * * * *
今回は、出かける前から、コカナへは「さよならを言いに行く」、と決めていました。
というのは、地震で傷んだ家々が建て直されていることを、地震後に訪れたときに見ていましたし、今はきっと「小さなカトマンズ」になっているだろう。つまり、地震前のような建物ではなく、今風な家に建て変わっているだろう・・・と想像し、そうしたコカナを見るのはこの日一日だけでいい、と思っていたのです。
ところが、建て変わった家はたくさんありましたが、
ネワール族の様式を取り入れた家が多くありました。
コカナだけではなく、ネワール族が暮らす町や村では、ネワールの様式を取り入れた家造りが継承されているそうで、コミュニティもそれを推進しているとか。
私は、ネワール族のプライドに感動しました。
もちろん、使われている材料も以前の家とは違っているでしょうし、様式を受け継いだとしても同じものができるわけではないことは住民も十分承知しているでしょう。以前と全く同じものができないのは当然と考えても、受け継がれるものが気持ちであることを私は知りました。
コカナの村をぐるっと取り巻くように、高速道路が建設されると、村人が話してくれました。
これも、コカナの今の姿を変えてゆくでしょう。
私がコカナにひかれたのは、思えば、ひたすらな段々田んぼと象徴的な大きな木だった・・・
田んぼと大きな木が見守るコカナ。
自然と歴史が作った光景は、変わることなく、ずっと続いてゆく、と決め込んでいた私。
まるきり予想すらしていなかった、大きな木を取り巻く周りに起き始めたまさかの変化、
コカナの田んぼが変わろうとしている現実に大きな衝撃を受けました。
現に、大きな木にはすでに影響が表れています。
こんなことが・・・
何年先になるかわかりませんが、
いつかコカナの田んぼの姿がすっかり変わっているでしょう・・・
残念ながら・・・、世の中とはこうしたものなのでしょうか。
さよなら・・・
私のこころのふるさと コカナ
村を歩くと、ネパール語とは異なるネワール語が聞こえてくる村です。
私は、コカナ村へ、2013年5月1日から2021年11月12日までの間に10回行きました。
初めて行った日は、
村の中心部を貫く道の両側に並ぶ古い家並みが、
そのまま村の歴史を語っているような印象を受けました。
両側の家並みを見ながら進むと、「コカナ・ミュージアム」がありました。
ネパールで最初の電気がきた家でした。
家の中を見せてもらった後、再び道を進むと、
左手にお寺(ヒンドゥ教)が見えてきました。
村と同じく、歴史ありそうな寺でした。
そして、さらに進むと、家並みが終わり、代わりに目の下に田んぼが広がりました。
下から上へ広がってゆく田んぼ。広々とした一面の田んぼ。
その向こうに見えるヒマラヤ。
山の中で育った私ですから、広々と広がる田んぼは知りませんが、
なぜか、コカナの田んぼは、私のこころのふるさとになりました。
そして、コカナが忘れられずに、心ひかれて、コカナへ行きました。
田んぼの向こうにヒマラヤの山並みが見えるのですが、
私の目が見て、さらにカメラにも写ってくれたのは、
最初の日(2013年5月1日)と最後の日(2021年11月12日)の2回のみでした。
コカナに心囚われたのは、
一面の田んぼと、その真中に立っているこんもりした木でした。
私は、それを大きな木と呼び、田んぼとともに私のコカナの象徴になりました。
田んぼは、季節季節のさまざまな表情を見せてくれました。
田植え後の苗が育って、一面濃い緑色で埋め尽くされた田んぼ。
秋、実った稲が収穫の日を待っている田んぼ。
稲がなくなり、段々田んぼであることがひと目でわかる冬から田植え前にかけての田んぼ。
冬の、乾いたあぜ道を歩く楽しさ。
これぜ〜んぶ、私のこころのふるさとの田んぼ!!と、
両手を広げて田んぼの空気を吸いました。
一方、「大きな木」は、葉っぱが茂っている季節も、葉が落ちた季節にも、
いつも大きな存在を示していました。
村を通り抜けて、その日初めて田んぼに出合ったときのこころのときめきは、
何回来ても変わることはありませんでした。
そして、大きな木が変わらずに立っていることを確かめて、
私のコカナにやって来た、といつも思っていました。
ところが、最後の日(2021年11月12日)、
目の下に開けている田んぼを見たとき、あれっ、なんか変・・・と思いました。
前回から3年のブランクがありましたが、
私が覚えているコカナの田んぼとは様子が違っていました。
私が覚えているコカナの田んぼは、
私が見る範囲では、大きな木以外は、すべて田んぼだったはず・・・。
それが違っている。
頭の中がゴチャゴチャになって、目の下の光景をすぐにのみ込めませんでした。
・・・大きな木を挟んで、レストランができていました。
そして、その他にもそれらしい囲いをした田んぼが・・・。
私のコカナの田んぼが寸断され、大きな木の存在感は薄れていました・・・
大きな木を挟むように、2つのレストランがオープンしていました。
店の人に話を聞くと、レストランの所有者は田んぼの持ち主で、
開店して8ヶ月くらいになるとのことでした。
米作りをやめて、レストラン業へ転向したことについてはたずねませんでした。
ネパールの多くの場所で、こうした変化が見られていると同行者から聞かされたからです。
大きな木の下へ行きましたが、
大きな木の周りには、以前はあった自由な空間がありませんでした。
この大きな木、コカナのシンボルとして新聞にもよく載りました。
夕日の中、シルエットになった農婦が、農具を肩に、大きな木の横を歩いて家へ向かう写真。新聞に載ったその写真が私の頭に浮かびました。
でも、今の大きな木は、そうした情緒あふれる写真を撮る対象にはなりえません。
最後の思い出にと、昼の陽を受けている葉っぱだけを撮りました。
コカナ村を歩くと、そこで暮らす人たちの生活の様子に触れます。
●コカナ村は、訪れる外国人観光客から入村料をもらって、その古い家並みを見てもらっていました。私も、外国人グループと一緒になったことがあります。
2015年4月25日のネパール地震後は、看板を外して、オフィスを閉じています。
●コカナはネワール族の村です。
村の中を歩くと、住民が聞き慣れない言葉、ネワール語でやりとりをしています。
働く人も、憩う人も、静かで、穏やかに見えます。
(この家では結婚式があることを知らせる幕。「結婚おめでとう。ようこそ」と書かれています)
(泣き役を先頭に、田んぼの中を行く葬列)
●コカナ村とネパール地震
2015年4月25日のネパール地震では、コカナ村も被害を受けました。
私は、日本の友達が送ってくれた見舞金を文房具にかえて、地震の2ヶ月後、コカナの学校を訪れました。
* * * * *
今回は、出かける前から、コカナへは「さよならを言いに行く」、と決めていました。
というのは、地震で傷んだ家々が建て直されていることを、地震後に訪れたときに見ていましたし、今はきっと「小さなカトマンズ」になっているだろう。つまり、地震前のような建物ではなく、今風な家に建て変わっているだろう・・・と想像し、そうしたコカナを見るのはこの日一日だけでいい、と思っていたのです。
ところが、建て変わった家はたくさんありましたが、
ネワール族の様式を取り入れた家が多くありました。
コカナだけではなく、ネワール族が暮らす町や村では、ネワールの様式を取り入れた家造りが継承されているそうで、コミュニティもそれを推進しているとか。
私は、ネワール族のプライドに感動しました。
もちろん、使われている材料も以前の家とは違っているでしょうし、様式を受け継いだとしても同じものができるわけではないことは住民も十分承知しているでしょう。以前と全く同じものができないのは当然と考えても、受け継がれるものが気持ちであることを私は知りました。
コカナの村をぐるっと取り巻くように、高速道路が建設されると、村人が話してくれました。
これも、コカナの今の姿を変えてゆくでしょう。
私がコカナにひかれたのは、思えば、ひたすらな段々田んぼと象徴的な大きな木だった・・・
田んぼと大きな木が見守るコカナ。
自然と歴史が作った光景は、変わることなく、ずっと続いてゆく、と決め込んでいた私。
まるきり予想すらしていなかった、大きな木を取り巻く周りに起き始めたまさかの変化、
コカナの田んぼが変わろうとしている現実に大きな衝撃を受けました。
現に、大きな木にはすでに影響が表れています。
こんなことが・・・
何年先になるかわかりませんが、
いつかコカナの田んぼの姿がすっかり変わっているでしょう・・・
残念ながら・・・、世の中とはこうしたものなのでしょうか。
さよなら・・・
私のこころのふるさと コカナ