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エリア:
- ヨーロッパ > フランス > ボーヌ
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テーマ:
- 街中・建物・景色
- / 歴史・文化・芸術
15世紀、百年戦争の最中。
ブルゴーニュ公国の宰相だったニコラ・ロランはボーヌにオスピス(日本語だと「施療院」と訳せるか)をひらいた。
現在でもその雰囲気をよく伝えている中庭。
三十床のベッドに二人ずつが収容されていた。
重病人というよりも、栄養ある食事と清潔な寝床で回復できる程度の困窮者に施しをしていたという場所だったようだ。
後の時代には本格的な病院にも、年長者の入院施設にもなり、つい四十年前までこの場所で運営されていた。現在でも場所は移ったが、活動はより広範囲に行われている。
創立者のニコラ・ロランと妻のギゴンは、礼拝堂の祭壇にその姿を留めている。15世紀フランドル絵画のマスター・ピースのひとつ、ウェイデン作「最後の審判」
横幅5メートル60センチの大作。
祭壇は日曜日にのみ開けられ、この画面を拝むことが出来た。
細密な描写を観賞するために、移動式の巨大ルーペが用意されている。
中央の天使のブローチ部分
普段、閉じた時にあらわれる、寄進者ニコラとギゴン、二人の全身図
この祭壇が描かれたとき、ニコラはおよそ六十歳、ギゴンは三十才ぐらいと推定される
開いた時に見られる聖人群像のなかにもニコラは登場する。赤い服を着たペテロと思しき人物の左で、ひとりこちらを見ているのがそれ。
●よくみると、ニコラの左三人のうち一人には、彼の息子ジャンが登場している。司教の冠をかぶって顔半分だけが見えているのがそれ。
地元ガイドさんによると、ジャンはロラン家の故郷オータンの司教に任命されていて、この祭壇画に画いてほしくて懇願したのだそうだ。
画家のウェイデンはそれをしぶしぶ認めたが、左右に画く人物の数を同じにしたかったので、肩越しに半分だけという不自然なスタイルになったのだそうだ。
ジャンは父ニコラの二度目の結婚から生まれた次男か三男で、ブルゴーニュ公の二代目と親交が深かった。また、自身が絵描きにもなりたかったようだと、ガイドさん曰く。
近くのノートルダム聖堂にはジャンが描かせたフレスコ画が残っている。
●ニコラの娘も右側パネルに登場している。右側の女性三人のうちいちばん左の、あきらかに「一般人」顔で描かれている。
こういう表現を見ていると、ウェイデンという絵描きは怖いぐらいに人物そのものを写し取っているように思えてくる。
**
施療院の床のタイルには、二十八歳年下の三度目の妻ギゴンへのニコラの気持ちが紋章にされた。英語のONLYは、フランス語でSUELE(スゥーリュ)
「ただひとつの★星」という文字がまわりを囲み、ニコラのNとギゴンのGの頭文字があらわされている。
ニコラが八十六歳で亡くなると、ギゴンは別のデザインで亡き夫を追慕した。このタピスリーがそれ
ギゴンの紋章と「ひとつだけの(孤独な)星」と書かれている
このタピスリーは、ブルゴーニュワインの祭典として有名な「栄光の三日間」の時に張り出される一枚だそうだ。
ブルゴーニュ公国の宰相だったニコラ・ロランはボーヌにオスピス(日本語だと「施療院」と訳せるか)をひらいた。
現在でもその雰囲気をよく伝えている中庭。
三十床のベッドに二人ずつが収容されていた。
重病人というよりも、栄養ある食事と清潔な寝床で回復できる程度の困窮者に施しをしていたという場所だったようだ。
後の時代には本格的な病院にも、年長者の入院施設にもなり、つい四十年前までこの場所で運営されていた。現在でも場所は移ったが、活動はより広範囲に行われている。
創立者のニコラ・ロランと妻のギゴンは、礼拝堂の祭壇にその姿を留めている。15世紀フランドル絵画のマスター・ピースのひとつ、ウェイデン作「最後の審判」
横幅5メートル60センチの大作。
祭壇は日曜日にのみ開けられ、この画面を拝むことが出来た。
細密な描写を観賞するために、移動式の巨大ルーペが用意されている。
中央の天使のブローチ部分
普段、閉じた時にあらわれる、寄進者ニコラとギゴン、二人の全身図
この祭壇が描かれたとき、ニコラはおよそ六十歳、ギゴンは三十才ぐらいと推定される
開いた時に見られる聖人群像のなかにもニコラは登場する。赤い服を着たペテロと思しき人物の左で、ひとりこちらを見ているのがそれ。
●よくみると、ニコラの左三人のうち一人には、彼の息子ジャンが登場している。司教の冠をかぶって顔半分だけが見えているのがそれ。
地元ガイドさんによると、ジャンはロラン家の故郷オータンの司教に任命されていて、この祭壇画に画いてほしくて懇願したのだそうだ。
画家のウェイデンはそれをしぶしぶ認めたが、左右に画く人物の数を同じにしたかったので、肩越しに半分だけという不自然なスタイルになったのだそうだ。
ジャンは父ニコラの二度目の結婚から生まれた次男か三男で、ブルゴーニュ公の二代目と親交が深かった。また、自身が絵描きにもなりたかったようだと、ガイドさん曰く。
近くのノートルダム聖堂にはジャンが描かせたフレスコ画が残っている。
●ニコラの娘も右側パネルに登場している。右側の女性三人のうちいちばん左の、あきらかに「一般人」顔で描かれている。
こういう表現を見ていると、ウェイデンという絵描きは怖いぐらいに人物そのものを写し取っているように思えてくる。
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施療院の床のタイルには、二十八歳年下の三度目の妻ギゴンへのニコラの気持ちが紋章にされた。英語のONLYは、フランス語でSUELE(スゥーリュ)
「ただひとつの★星」という文字がまわりを囲み、ニコラのNとギゴンのGの頭文字があらわされている。
ニコラが八十六歳で亡くなると、ギゴンは別のデザインで亡き夫を追慕した。このタピスリーがそれ
ギゴンの紋章と「ひとつだけの(孤独な)星」と書かれている
このタピスリーは、ブルゴーニュワインの祭典として有名な「栄光の三日間」の時に張り出される一枚だそうだ。