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エリア:
- ヨーロッパ > イタリア > フィレンツェ
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テーマ:
- 観光地
- / 鑑賞・観戦
- / 自然・植物
少し前になりますが、5月の2日から20日までミケランジェロ広場近くのアイリス庭園(あやめ庭園)が無料で開放されていました。
私はあやめと言ったら紫色だと思っていたのですが、実は沢山の色、種類があるんですね。
この庭は1954年に生まれた団体、イタリアアイリス協会によって運営されていて、この種の物では世界で唯一だそうです。
ここでアイリスの色々な種類を作り出す為にアイリスの国際コンクールも開かれています。
場所はフィレンツェ市によって提供されました。
1957年にアイリスの庭が出来ると、アイリスは外国の栽培者から寄付され、アメリカのニュージャージーのPresby Memorial Iris Gardensからも多くのコレクションが贈られています。
また庭の下の方には池があり、ここには日本やルイジアナのアイリスも植えられています。
さて、皆さんご存知のように、フィレンツェ市のシンボルは11世紀から百合になっています。
しかし実は正確には百合ではなくて、アイリスでトスカーナの田舎に沢山見られるアヤメ科の花になります。
その起源ははっきりしていませんが、起源前59年にローマ人によりフィレンツェの街がつくられたという出来事と関係があるのではないかと思われています。
丁度この時期が春で、花の女神フローラを称えるお祭りがあり、このアイリスの花がちょうど咲き乱れる時期だったから。とも言われています。
しかしいつの間にかアイリスから百合に変わってしまったようですが、百合は純潔のシンボルでもあるので、「マリアの花」である。
マリアの信仰の表れではないかとも言われています。
最初は色が逆で赤地に白い百合の花でしたが、1251年くらいを境に現在の白地に赤い百合の色に変わります。
この頃フィレンツェはギベリン派とグエルフ派という2つの政党の間で戦っていましたが、ギベリン派が負けてしまい、フィレンツェの街を追放されてしまいます。
負けたにも拘わらずギベリン派の人達は自分達のシンボルとしてこの赤地に白い百合の花のシンボルを使い続けました。
そこで、勝ったグエルフ派の人達が敵と区別する為に色を逆にしたと言われています。
丁度この頃、街の新しい通貨を作ることになります。
その名もFiorino。
このフィオリーノにもこの百合が刻まれています。
そこからずっとこの紋章は変わらずに今日に至ります。
もしこの時期にフィレンツェを訪れる機会がありましたら、是非ミケランジェロ広場に行ったついでにこちらのアイリス庭園も行ってみてくださいね。