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エリア:
- ヨーロッパ > フランス > パリ
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テーマ:
- 観光地
- / 街中・建物・景色
- / 歴史・文化・芸術
パリの人達はコーヒー好きです。我が家の夫もご多分に漏れずカフェ好きで、カフェ無しに人生は立ち行かず、少なくとも1日に3杯は飲んでいるようです。もちろん、エスプレッソであることは言うまでもありません。

フランスでコーヒーといえばエスプレッソになります。味音痴、邪道と貶されようともアメリカン・コーヒーをこよなく愛する私としては、このカフェ=エスプレッソのあり方にどうしても馴染むことができません。健康面からも生活の豊かさの観点からも受け入れられないのです・・・。
あそこまで濃いと胃に負担がかかるし、しかもすぐに飲み干してしまうため、コーヒーを飲むという行為から得られるゆったりと落ち着いたひと時を満喫することさえできません。
しかしながら、心強いことに昨今ではパリでも「スターバックス」が出現し、カーラ大統領夫人をはじめとして絶大なる支持を受けるようになっています。絶大という部分は、私が勝手な主観による判断の域を出ない可能性もあります
しかしそれでも、マクドナルドのように悪しきアメリカの食文化、フランス文明を破壊する資本主義経済の急先鋒として誹謗中傷されることもありません。これは、フランス社会での受け入れが着実に進んでいる証拠だといえます。
実際に、最寄のスターバックスはいつも混んでおり、繁盛しているのは傍目にも明らかです。もちろん、全ての客が私のようにレギュラー・コーヒーを購入しているわけではありません。多くがスターバックスが独自に開発する「装飾がかったカフェ」を注文していることは確かです。彼らの殆どはエスプレッソとは別にスウィーツとしてスターバックスの各種商品を消費しているようです。
このような状態を見るにつけ、カフェ=エスプレッソ文化の根強さを思い知らされます。我が家においても、コーヒー・メーカーはフランスでの居住開始とともにエスプレッソ・マシーンに変身しました。夫が最も拘って購入した家電製品がこのマシーンであったことは言うまでもありません。
余談にはなりますが、一方でインスタント・コーヒーというものもフランスでは健在です。アメリカン・コーヒーを愛する人間に対するフランス人の軽蔑感がドリップ式のコーヒー・メーカーの不在とインスタント・コーヒーのスーパーにおける氾濫に見て取れます。
そうです、アメリカン・コーヒー愛好家は、自宅ではインスタント・コーヒーに甘んじるしかないのです。フランスでは、エスプレッソとインスタントの中間を行くポジショニングは選択不可といっても過言ではありません。
スターバックスのような新参カフェの対極にあるのが昔ながらの古き良きフランスのカフェです。とされていますが、私には歴史の重み以外に双方の間に横たわると言われる違いがよく理解できません。

提供する商品が少々異なるのみで、その存在意義は今も昔も変わらないからです。カフェでやることは食事や飲み物を堪能する他は、たわいもない話に花を咲かせたり、議論に熱中したり、仕事や書き物に集中したり、あるいは、ひとりで道行く人を眺めながら思索に耽るゆったりとした時間を過ごしたりと様々ですが、共通することは、人生を豊かにするための場を求めて時間を過ごすということです。
パリにも伝説のカフェは数多く存在しますが、その代表格として挙げられるのが、サンジェルマン・デ・プレにあるカフェ・ドゥ・マゴとカフェ・フレールです。


サルトルやボーボワールを中心に20世紀を代表するフランスの知識人や芸術家が集い、日夜に渡って哲学・文学・芸術談義に花を咲かせ、創作活動に没頭した場所として有名です。サルトルやボーボワールは、このカフェを仕事場として利用し、毎日通ったと言われています。実際に、彼らの名を刻んだプレートが当時席を占めていたという場所に打ち付けてあるのが見えます。

サルトルとボーボワールは深い愛と絆で結ばれ、互いを尊敬し思いやる素晴らしいカップルであったことは有名です。しかし、そうであったがために、結婚することなく生涯独身を貫きました。結婚は互いの依存を助長し、人間の存在にとって欠かせない自由の精神を蝕むことになるからということでした。一緒に時間を過ごしながらも各自のプライベートには望まれない限り干渉しないというスタイルは、理念としては神々しいばかりに立派でも、日常において実践するのは容易いわけではなかったようです。
それでも二人はこの関係を貫き、カフェで毎日会い、一緒に議論し、創作することで、20世紀の西洋思想の前進に大いに貢献しました。このことからも、20世紀にはフランス文明の流れがカフェで形作られたといっても過言ではないでしょう。
これらのカフェをはじめ、パリの各地には19世紀の面影を色濃く残したカフェが無数に存在します。パリの街自体が19世紀のオスマン市長によって大改革され、以来そのままの状態で保存されていることからも当たり前といえば当たり前ですが、概観以上に、そこにある魂がいまだに19世紀ー20世紀である印象を受けるのです。19-20世紀がパリのカフェの全盛期で、その時代の威光に未だにしがみついているとも言えますが。。。
特に、どんよりと雨雲が重苦しく立ち込め、パリの街全体を覆っているような日には、小雨でも降れば、19世紀のパリが目の前に立ち現れます。ぱっと見には陰鬱だけれど、オレンジの間接照明に暖かく照らされるカフェの中は活気に満ち、人生を愉しむことを心得た人々の精神が自由に飛びまわっています。当時から何も変わっていないパリがそこにあるのです。
フランス社会も国家経済から社会のアイデンティティにいたるまで数々の問題を抱えており、様々な分野での改革や変革が求められています。外国人の私の目から見ても、変革を断行していかなければ国が立ち行かない時期に来ていることは明らかです。
そんななかで、切羽詰った問題から一息入れることのできる憩いの場所、フランス人のアイデンティティを再確認できる場所というのがこのカフェではないかなと思ったりするのです。

様々な意味で人生を豊かにする場を与えてくれる場所、それがカフェであり、この存在意義は今も昔も変わらないような気がします。

フランスでコーヒーといえばエスプレッソになります。味音痴、邪道と貶されようともアメリカン・コーヒーをこよなく愛する私としては、このカフェ=エスプレッソのあり方にどうしても馴染むことができません。健康面からも生活の豊かさの観点からも受け入れられないのです・・・。
あそこまで濃いと胃に負担がかかるし、しかもすぐに飲み干してしまうため、コーヒーを飲むという行為から得られるゆったりと落ち着いたひと時を満喫することさえできません。
しかしながら、心強いことに昨今ではパリでも「スターバックス」が出現し、カーラ大統領夫人をはじめとして絶大なる支持を受けるようになっています。絶大という部分は、私が勝手な主観による判断の域を出ない可能性もあります
しかしそれでも、マクドナルドのように悪しきアメリカの食文化、フランス文明を破壊する資本主義経済の急先鋒として誹謗中傷されることもありません。これは、フランス社会での受け入れが着実に進んでいる証拠だといえます。
実際に、最寄のスターバックスはいつも混んでおり、繁盛しているのは傍目にも明らかです。もちろん、全ての客が私のようにレギュラー・コーヒーを購入しているわけではありません。多くがスターバックスが独自に開発する「装飾がかったカフェ」を注文していることは確かです。彼らの殆どはエスプレッソとは別にスウィーツとしてスターバックスの各種商品を消費しているようです。
このような状態を見るにつけ、カフェ=エスプレッソ文化の根強さを思い知らされます。我が家においても、コーヒー・メーカーはフランスでの居住開始とともにエスプレッソ・マシーンに変身しました。夫が最も拘って購入した家電製品がこのマシーンであったことは言うまでもありません。
余談にはなりますが、一方でインスタント・コーヒーというものもフランスでは健在です。アメリカン・コーヒーを愛する人間に対するフランス人の軽蔑感がドリップ式のコーヒー・メーカーの不在とインスタント・コーヒーのスーパーにおける氾濫に見て取れます。
そうです、アメリカン・コーヒー愛好家は、自宅ではインスタント・コーヒーに甘んじるしかないのです。フランスでは、エスプレッソとインスタントの中間を行くポジショニングは選択不可といっても過言ではありません。
スターバックスのような新参カフェの対極にあるのが昔ながらの古き良きフランスのカフェです。とされていますが、私には歴史の重み以外に双方の間に横たわると言われる違いがよく理解できません。

提供する商品が少々異なるのみで、その存在意義は今も昔も変わらないからです。カフェでやることは食事や飲み物を堪能する他は、たわいもない話に花を咲かせたり、議論に熱中したり、仕事や書き物に集中したり、あるいは、ひとりで道行く人を眺めながら思索に耽るゆったりとした時間を過ごしたりと様々ですが、共通することは、人生を豊かにするための場を求めて時間を過ごすということです。
パリにも伝説のカフェは数多く存在しますが、その代表格として挙げられるのが、サンジェルマン・デ・プレにあるカフェ・ドゥ・マゴとカフェ・フレールです。


サルトルやボーボワールを中心に20世紀を代表するフランスの知識人や芸術家が集い、日夜に渡って哲学・文学・芸術談義に花を咲かせ、創作活動に没頭した場所として有名です。サルトルやボーボワールは、このカフェを仕事場として利用し、毎日通ったと言われています。実際に、彼らの名を刻んだプレートが当時席を占めていたという場所に打ち付けてあるのが見えます。

サルトルとボーボワールは深い愛と絆で結ばれ、互いを尊敬し思いやる素晴らしいカップルであったことは有名です。しかし、そうであったがために、結婚することなく生涯独身を貫きました。結婚は互いの依存を助長し、人間の存在にとって欠かせない自由の精神を蝕むことになるからということでした。一緒に時間を過ごしながらも各自のプライベートには望まれない限り干渉しないというスタイルは、理念としては神々しいばかりに立派でも、日常において実践するのは容易いわけではなかったようです。
それでも二人はこの関係を貫き、カフェで毎日会い、一緒に議論し、創作することで、20世紀の西洋思想の前進に大いに貢献しました。このことからも、20世紀にはフランス文明の流れがカフェで形作られたといっても過言ではないでしょう。
これらのカフェをはじめ、パリの各地には19世紀の面影を色濃く残したカフェが無数に存在します。パリの街自体が19世紀のオスマン市長によって大改革され、以来そのままの状態で保存されていることからも当たり前といえば当たり前ですが、概観以上に、そこにある魂がいまだに19世紀ー20世紀である印象を受けるのです。19-20世紀がパリのカフェの全盛期で、その時代の威光に未だにしがみついているとも言えますが。。。
特に、どんよりと雨雲が重苦しく立ち込め、パリの街全体を覆っているような日には、小雨でも降れば、19世紀のパリが目の前に立ち現れます。ぱっと見には陰鬱だけれど、オレンジの間接照明に暖かく照らされるカフェの中は活気に満ち、人生を愉しむことを心得た人々の精神が自由に飛びまわっています。当時から何も変わっていないパリがそこにあるのです。
フランス社会も国家経済から社会のアイデンティティにいたるまで数々の問題を抱えており、様々な分野での改革や変革が求められています。外国人の私の目から見ても、変革を断行していかなければ国が立ち行かない時期に来ていることは明らかです。
そんななかで、切羽詰った問題から一息入れることのできる憩いの場所、フランス人のアイデンティティを再確認できる場所というのがこのカフェではないかなと思ったりするのです。

様々な意味で人生を豊かにする場を与えてくれる場所、それがカフェであり、この存在意義は今も昔も変わらないような気がします。
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