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エリア:
- ヨーロッパ > フランス > マルセイユ
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テーマ:
- 観光地
- / 世界遺産
- / 歴史・文化・芸術
先日、観光協会関連の集まりがあり、暇があったので参加することにした。初めての参加だった。
将来は南仏を専門とするカリスマガイドになりたい!などというビッグな野望を抱いているにも関わらず、実際のところ、この地の観光に関する私の知識はさほど高くはない・・・というのが嘆かわしい現実だ。
勉強してはいるものの、人様にお金を頂いて、あれこれ講釈するほどのレベルにはまだ達していない。現時点では、請うご期待・・・というところだろうか・・。
とまあ、こんな私でもジョインできる開けた集まりではあるのだが、来年はマルセイユが欧州の文化都市となる年でもあるので、少々気合が入っているようだった。
観光客誘致に限らず、グローバルな規模のコンフェレンスやプロジェクトの誘致にも力を入れており、歴史遺産の管理や都市の景観保護は勿論のこと、大規模な催し物をホストできる設備管理などにも余念がない。
そして、なんといっても喫緊の対策が必要とされるのは、市内の治安維持であろう。
悲しいかな、マルセイユはフランスで最も犯罪率が高い都市として名高い・・・。郊外はもちろんのこと、市内でも低所得者層や移民が多く住む地区ではほぼ毎日のように犯罪が多発しており、これら地域への立ち入りを避けることは市民の間で暗黙の了解となっている。
人づてに聞いた話によると、マルセイユは90年代前半に開催されたワールドカップだかを契機に、南仏を対象とする観光コースから外されたとのことだ。
フーリガンのごときサッカー狂が街をたむろし、所構わず、昼日中でも通行人に対して暴行や窃盗を働くケースが多発したことが原因だという。こんな危険な都市には近寄らまい・・・と多くの観光会社がマルセイユを避けるようになった。
日本の観光会社が斡旋している南仏ツアーのパンフレットを幾つか見たが、確かに、これらのどれにもマルセイユは入っていない・・・。
ほとんどの会社が同様のコースを斡旋している。まずパリからニースに入り、カンヌ、モンテカルロ、(マルセイユを素通りして)エクス・アン・プロヴァンス、アヴィニヨン、アルル、(時々ロワール)、パリの順で巡る。
私はこのコースを見て、うーん・・・と唸ってしまった。世界遺産レベルの名所を汲まなく押さえ、南仏の名所を効率的に巡ることができるようになっている。名所好きな日本人には、こういうコースでないとアピールできないのかもしれない。
そうなると、たとえ90年代の災難がなかったとしても、日程にマルセイユを入れることは無理があるな・・と思った。
まず何よりも、日本人にアピールするような名所が見当たらない・・・。
確かに、フランス最古の都市だけあって、遺産であればそこかしこにゴロゴロしている。しかし、これらのどれも、目の肥えた、しかも「名だたる」とか「世界に知られた」などの形容詞が大好きな日本人が遠路遥々日本からやってきて見物したいと思うような代物ではない。少なくとも、相当な南仏マニアかマルセイユ狂でもない限り、魅力を感じることはないだろう。
では、都市の景観はどうかというと、これもまた改善の余地が多いにありすぎて、遠路遥々やってくる観光客に大手を振って薦められるようなものではない。美しい街の景観なら、ヘキサゴンを縦断してわざわざマルセイユまで足を運ばずとも、パリで十分に堪能できる。
グルメに関しても、リヨンのように独自のキュウリナリーを育んできた歴史がないため、マルセイユを代表するキュウリナリーというものは存在しない。あえて言えば、ブイヤベースなど単品ベースであるぐらいだ。あとは、地中海地域に溢れる料理をマルセイユ流に二番煎じしたものぐらいだろう。
というように、観光客を惹き付けるための「いわゆる」ネタに乏しいことこの上ない。
上記のような実態を十分に把握しているからなのか、現時点では、観光客の誘致は後回しにされ、研究、ビジネス、国際会議の誘致のほうにプライオリティが置かれているようだ。そして、そのついでに観光でもしてもらおうという腹積もりらしい。まあ、これはこれで都市の開発戦略としてありえるのかなと思ったりする。
マルセイユはには港湾関連のビジネスを中心とする商業都市としてのアイデンティティが中心にあり、ゆえに、それを基にして研究開発やビジネスを世界各地から幅広く募り、発展の裾野を広げたいと考えているのかもしれない。
ただ、マルセイユは最もビジネスをするのが難しい都市だとも言われている。多くの人がこの言葉を口にするが、理由をはっきりさせることはない。多くは、風土柄、人が怠け者になり、仕事がなかなか捗らないからだと言う。
私は、確かに風土柄もあるのだろうが、ビーチなどを中心に観光産業も充実していることから、観光地に特有の「表面的」なメンタリティが人の心を支配し、本腰を入れてまじめに働く気概を阻害しているからではないかと思ったりする。
海辺などの観光地では人と人の出会いが一過性のものであることが多い。そのようななかで評価されるのは、束の間の現実逃避を演出できる能力ではないだろうか。そこに、真実とか実質といったものは関係ない。花火のように一瞬でパーッと光り輝き、全てを忘れて天にも昇る恍惚した気持ちにさせてくれる自己プレゼンテーションができれば、それで十分なのだ。
このように「その場限りの一発屋」的な能力が磨かれるに従い、現実感が希薄となり、周囲との信頼に基づく長期的な関係構築が難しくなる。おのずと、長期に渡って信頼したり、仕事にしっかりコミットしてくれる人材がマルセイユで手薄となるのも理解できる。
ここに、アフリカ・アラブ諸国からのやってきた無職の移民が加わり、状況を更に悪化させる。
ステレオタイプを作るのは危険だといわれるが、私は、それでもステレオタイプが何がしかの真実を伝えるものだと確信している。
アジア系移民と比較して、全体としてアフリカ・アラブ系の労働への意欲は高くない。アジア人はハード・ワークによって生活の向上を図ることを当然視する。自助努力、ハード・ワークこそが、成功へと導く王道なのだ。
しかし、アフリカ・アラブ系の人々には、上記のようなアジア人の人生観といったものは無縁だ。ハード・ワークなんて、彼らの辞書には存在しないかのごとく。まあ、アラーが全てを決定するから、自分で積極的に人生に関与する必要はないとでも思っているのかもしれないが・・・・。
そして、このような状態をそこかしこで目にする市民は、時間が経つにつれてまじめに働くことが馬鹿馬鹿しく思えてくるのだろう。必死で10の努力しても、3ぐらいの見返りしかないなら、しかも、周囲に足を引っ張られることが原因で成功が遠のくぐらいなら、何もしないのがベストだと判断しても仕方がないだろう。しかも、苦しい思いをして小金を稼いでも、ほとんどが税金で取られるなら、なお更やる気が失せる。
助努力によって立身出世を志す人間の気概と努力を妨げる制度と文化が平然と機能しているのがフランスで、その最たる例がマルセイユだということだろう。
議論を聞いていて、私は大変もどかしい気持ちに襲われた。誘致したい気持ちは分かるが、これだけ多くの障害物があるなかで、果たして実現することができるのか・・・・。
幾ら、周辺設備を完備し、その素晴らしさを宣伝で謳ったところで、現場で物事が非効率にしか進まず、しかも税金などの制度問題が大きな足枷となるならば、まず誘致に成功することはないだろう。
世界には、グローバル・スタンダードに則り、ビジネスや研究を行うのに望ましい条件を各種備えた都市が五万と存在する。そんな都市と争って、勝てる賞賛など、大変申し訳ないが、まずもってないと言える。物事は、そこまで簡単ではない。
フランス人は、自己満足の範囲でやればそれで十分と考える唯我独尊的、中華思想的な傾向がある。自分だけの狭い殻に閉じこもり、机上の理論だけで考え判断する傾向にあることから、周囲を広く観察してそこから学ぶという謙虚さに欠けるのだ。そのため、グローバルな競争に取り残されつつある。
日本を始めとする国際社会のフランスに対するイメージは、今だ飛びぬけて好ましいもので、ロマンチックで高級感溢れるものだ。しかし、日本人が心に思い描くフランスなど、最早どこにも存在しない。そんなフランスは、80年代を境に消え去ってしまったといっても過言ではないのだ。
どこまでこのイリュージョンで食いつないでいくことができるか・・・・若しくは、イリュージョンを現実のものとして再生できるよう一大発起するか・・・・マルセイユ、いやフランスに課された新たな課題だといえる。
将来は南仏を専門とするカリスマガイドになりたい!などというビッグな野望を抱いているにも関わらず、実際のところ、この地の観光に関する私の知識はさほど高くはない・・・というのが嘆かわしい現実だ。
勉強してはいるものの、人様にお金を頂いて、あれこれ講釈するほどのレベルにはまだ達していない。現時点では、請うご期待・・・というところだろうか・・。
とまあ、こんな私でもジョインできる開けた集まりではあるのだが、来年はマルセイユが欧州の文化都市となる年でもあるので、少々気合が入っているようだった。
観光客誘致に限らず、グローバルな規模のコンフェレンスやプロジェクトの誘致にも力を入れており、歴史遺産の管理や都市の景観保護は勿論のこと、大規模な催し物をホストできる設備管理などにも余念がない。
そして、なんといっても喫緊の対策が必要とされるのは、市内の治安維持であろう。
悲しいかな、マルセイユはフランスで最も犯罪率が高い都市として名高い・・・。郊外はもちろんのこと、市内でも低所得者層や移民が多く住む地区ではほぼ毎日のように犯罪が多発しており、これら地域への立ち入りを避けることは市民の間で暗黙の了解となっている。
人づてに聞いた話によると、マルセイユは90年代前半に開催されたワールドカップだかを契機に、南仏を対象とする観光コースから外されたとのことだ。
フーリガンのごときサッカー狂が街をたむろし、所構わず、昼日中でも通行人に対して暴行や窃盗を働くケースが多発したことが原因だという。こんな危険な都市には近寄らまい・・・と多くの観光会社がマルセイユを避けるようになった。
日本の観光会社が斡旋している南仏ツアーのパンフレットを幾つか見たが、確かに、これらのどれにもマルセイユは入っていない・・・。
ほとんどの会社が同様のコースを斡旋している。まずパリからニースに入り、カンヌ、モンテカルロ、(マルセイユを素通りして)エクス・アン・プロヴァンス、アヴィニヨン、アルル、(時々ロワール)、パリの順で巡る。
私はこのコースを見て、うーん・・・と唸ってしまった。世界遺産レベルの名所を汲まなく押さえ、南仏の名所を効率的に巡ることができるようになっている。名所好きな日本人には、こういうコースでないとアピールできないのかもしれない。
そうなると、たとえ90年代の災難がなかったとしても、日程にマルセイユを入れることは無理があるな・・と思った。
まず何よりも、日本人にアピールするような名所が見当たらない・・・。
確かに、フランス最古の都市だけあって、遺産であればそこかしこにゴロゴロしている。しかし、これらのどれも、目の肥えた、しかも「名だたる」とか「世界に知られた」などの形容詞が大好きな日本人が遠路遥々日本からやってきて見物したいと思うような代物ではない。少なくとも、相当な南仏マニアかマルセイユ狂でもない限り、魅力を感じることはないだろう。
では、都市の景観はどうかというと、これもまた改善の余地が多いにありすぎて、遠路遥々やってくる観光客に大手を振って薦められるようなものではない。美しい街の景観なら、ヘキサゴンを縦断してわざわざマルセイユまで足を運ばずとも、パリで十分に堪能できる。
グルメに関しても、リヨンのように独自のキュウリナリーを育んできた歴史がないため、マルセイユを代表するキュウリナリーというものは存在しない。あえて言えば、ブイヤベースなど単品ベースであるぐらいだ。あとは、地中海地域に溢れる料理をマルセイユ流に二番煎じしたものぐらいだろう。
というように、観光客を惹き付けるための「いわゆる」ネタに乏しいことこの上ない。
上記のような実態を十分に把握しているからなのか、現時点では、観光客の誘致は後回しにされ、研究、ビジネス、国際会議の誘致のほうにプライオリティが置かれているようだ。そして、そのついでに観光でもしてもらおうという腹積もりらしい。まあ、これはこれで都市の開発戦略としてありえるのかなと思ったりする。
マルセイユはには港湾関連のビジネスを中心とする商業都市としてのアイデンティティが中心にあり、ゆえに、それを基にして研究開発やビジネスを世界各地から幅広く募り、発展の裾野を広げたいと考えているのかもしれない。
ただ、マルセイユは最もビジネスをするのが難しい都市だとも言われている。多くの人がこの言葉を口にするが、理由をはっきりさせることはない。多くは、風土柄、人が怠け者になり、仕事がなかなか捗らないからだと言う。
私は、確かに風土柄もあるのだろうが、ビーチなどを中心に観光産業も充実していることから、観光地に特有の「表面的」なメンタリティが人の心を支配し、本腰を入れてまじめに働く気概を阻害しているからではないかと思ったりする。
海辺などの観光地では人と人の出会いが一過性のものであることが多い。そのようななかで評価されるのは、束の間の現実逃避を演出できる能力ではないだろうか。そこに、真実とか実質といったものは関係ない。花火のように一瞬でパーッと光り輝き、全てを忘れて天にも昇る恍惚した気持ちにさせてくれる自己プレゼンテーションができれば、それで十分なのだ。
このように「その場限りの一発屋」的な能力が磨かれるに従い、現実感が希薄となり、周囲との信頼に基づく長期的な関係構築が難しくなる。おのずと、長期に渡って信頼したり、仕事にしっかりコミットしてくれる人材がマルセイユで手薄となるのも理解できる。
ここに、アフリカ・アラブ諸国からのやってきた無職の移民が加わり、状況を更に悪化させる。
ステレオタイプを作るのは危険だといわれるが、私は、それでもステレオタイプが何がしかの真実を伝えるものだと確信している。
アジア系移民と比較して、全体としてアフリカ・アラブ系の労働への意欲は高くない。アジア人はハード・ワークによって生活の向上を図ることを当然視する。自助努力、ハード・ワークこそが、成功へと導く王道なのだ。
しかし、アフリカ・アラブ系の人々には、上記のようなアジア人の人生観といったものは無縁だ。ハード・ワークなんて、彼らの辞書には存在しないかのごとく。まあ、アラーが全てを決定するから、自分で積極的に人生に関与する必要はないとでも思っているのかもしれないが・・・・。
そして、このような状態をそこかしこで目にする市民は、時間が経つにつれてまじめに働くことが馬鹿馬鹿しく思えてくるのだろう。必死で10の努力しても、3ぐらいの見返りしかないなら、しかも、周囲に足を引っ張られることが原因で成功が遠のくぐらいなら、何もしないのがベストだと判断しても仕方がないだろう。しかも、苦しい思いをして小金を稼いでも、ほとんどが税金で取られるなら、なお更やる気が失せる。
助努力によって立身出世を志す人間の気概と努力を妨げる制度と文化が平然と機能しているのがフランスで、その最たる例がマルセイユだということだろう。
議論を聞いていて、私は大変もどかしい気持ちに襲われた。誘致したい気持ちは分かるが、これだけ多くの障害物があるなかで、果たして実現することができるのか・・・・。
幾ら、周辺設備を完備し、その素晴らしさを宣伝で謳ったところで、現場で物事が非効率にしか進まず、しかも税金などの制度問題が大きな足枷となるならば、まず誘致に成功することはないだろう。
世界には、グローバル・スタンダードに則り、ビジネスや研究を行うのに望ましい条件を各種備えた都市が五万と存在する。そんな都市と争って、勝てる賞賛など、大変申し訳ないが、まずもってないと言える。物事は、そこまで簡単ではない。
フランス人は、自己満足の範囲でやればそれで十分と考える唯我独尊的、中華思想的な傾向がある。自分だけの狭い殻に閉じこもり、机上の理論だけで考え判断する傾向にあることから、周囲を広く観察してそこから学ぶという謙虚さに欠けるのだ。そのため、グローバルな競争に取り残されつつある。
日本を始めとする国際社会のフランスに対するイメージは、今だ飛びぬけて好ましいもので、ロマンチックで高級感溢れるものだ。しかし、日本人が心に思い描くフランスなど、最早どこにも存在しない。そんなフランスは、80年代を境に消え去ってしまったといっても過言ではないのだ。
どこまでこのイリュージョンで食いつないでいくことができるか・・・・若しくは、イリュージョンを現実のものとして再生できるよう一大発起するか・・・・マルセイユ、いやフランスに課された新たな課題だといえる。
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