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エリア:
- 北米 > カナダ > ケベック シティ
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テーマ:
- お祭り・イベント
- / 歴史・文化・芸術
- / 街中・建物・景色
毎年恒例のヌーベルフランス祭りが、8月4日から8日まで開催中です。
アメリカ大陸に於けるフランス開拓時代を偲ぶ大きなイベントなのです。
ケベックの町は,今からおよそ400年前にルイ14世の命を受けて
新国家フランスとして開拓されてゆくのです。祭り期間中は、その頃の
中世の時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る程です。
セントローレンス川沿いのケベックは、当時の先住民族が「川幅の狭まる場所」
と呼んだKEBEC(?)から付けられた地名です。大航海時代の最も合理的で早く
移動出来る乗り物が「船」だったのですから、北米の窓口として、この川幅の
狭まる地形が,他国からの防衛の観点からも、フランス人には魅力的だったのです。
当時の航海日数は、およそ5ヶ月半といわれます。何しろエンジン(動力)の
付かない時代の船の旅は、潮流と風任せだったのですから。
開拓者を最も苦しめたのは病気(壊血病)でした。船の上の偏った食生活による
ビタミン欠乏症が原因だったと言われます。
苦しんでいるフランス人を見て、先住民はあるお茶を差し出します。
「アネダのお茶」(*西洋杉の葉を煎じたもの)でしたが、絶望の縁に
いた余命幾ばくもない開拓者が、このお茶で命拾いするのです。
これは後にビタミンが含まれていることが判明します。
しかし、フランスの時代は150年程で終わりを告げます。
1759年9月13日のイギリスとの6度目の英仏植民地戦争によって、
フランスの最後の砦ケベックの陥落を迎えたのです。
そうした今のフランス系カナダ人(ケベコワ)にとって、この祭りは
開拓時代に汗したご先祖様を尊ぶ彼らの誇り高い大きなイベントでもあります。
北米東部大西洋岸、特に現在のメイン州東部とノバスコシア州に相当する地域の
古名で、フランス人入植者によって名付けられた地名をアカディアと言います。
英語では Acadian「アケイディアン」フランス語では Acadien「アカディアン」
と呼ばれます。また現在アカディア人が多く居住する地域を指す。
この記事のタイトルでも使った画像にあるフランス国旗に似た旗こそ、この
アカディアの旗でもあります。国旗はフランスの三色旗の青地に金の星
(被昇天の聖母の象徴「海の星」)をあしらったもので1884年制定ました。
同じカナダのフランス系住民でもケベック人とは異なる歴史、文化と
アイデンティティを持っています。その多くはカトリック信徒です。
アカディアの守護聖人は被昇天の聖母です。アカディア人の話すフランス語
(Acadian French)は、フランスの古語や古い言い回しを今日まで保って
おり、発音も若干異なると言われます。
歴史上の軋轢から、年配のフランス系住民の間では現在に至るまで英国
および英語を母国語とする住民に対する反感が根強いのです。若い世代は
英語文化の浸透、また就職に有利なことから英仏バイリンガルであることが
多く、母語であるフランス語の喪失が危惧されているのです。
現在のアカディアは「国土なき国家」と呼ばれることもあります。
「赤毛のアン」でお馴染みのプリンスエドワード島も,今でこそ英国風の
島として知られていますが、実は、このアカディア人たちが最初の住民でした。
英国に追われ一部のアカディア人等が辿り着いた地が、今のアメリカ南部の
ルイジアンアやニューオリンズ一帯なのです。
(地名がフランスに因んでますね。)
そして、この地域の名物料理である「ケイジャン料理」とは、正に
彼らアカディア人(アカディアが訛ってケイジャンになったのです。)の
伝えた料理だったのです。
アメリカ大陸に於けるフランス開拓時代を偲ぶ大きなイベントなのです。
ケベックの町は,今からおよそ400年前にルイ14世の命を受けて
新国家フランスとして開拓されてゆくのです。祭り期間中は、その頃の
中世の時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る程です。
セントローレンス川沿いのケベックは、当時の先住民族が「川幅の狭まる場所」
と呼んだKEBEC(?)から付けられた地名です。大航海時代の最も合理的で早く
移動出来る乗り物が「船」だったのですから、北米の窓口として、この川幅の
狭まる地形が,他国からの防衛の観点からも、フランス人には魅力的だったのです。
当時の航海日数は、およそ5ヶ月半といわれます。何しろエンジン(動力)の
付かない時代の船の旅は、潮流と風任せだったのですから。
開拓者を最も苦しめたのは病気(壊血病)でした。船の上の偏った食生活による
ビタミン欠乏症が原因だったと言われます。
苦しんでいるフランス人を見て、先住民はあるお茶を差し出します。
「アネダのお茶」(*西洋杉の葉を煎じたもの)でしたが、絶望の縁に
いた余命幾ばくもない開拓者が、このお茶で命拾いするのです。
これは後にビタミンが含まれていることが判明します。
しかし、フランスの時代は150年程で終わりを告げます。
1759年9月13日のイギリスとの6度目の英仏植民地戦争によって、
フランスの最後の砦ケベックの陥落を迎えたのです。
そうした今のフランス系カナダ人(ケベコワ)にとって、この祭りは
開拓時代に汗したご先祖様を尊ぶ彼らの誇り高い大きなイベントでもあります。
北米東部大西洋岸、特に現在のメイン州東部とノバスコシア州に相当する地域の
古名で、フランス人入植者によって名付けられた地名をアカディアと言います。
英語では Acadian「アケイディアン」フランス語では Acadien「アカディアン」
と呼ばれます。また現在アカディア人が多く居住する地域を指す。
この記事のタイトルでも使った画像にあるフランス国旗に似た旗こそ、この
アカディアの旗でもあります。国旗はフランスの三色旗の青地に金の星
(被昇天の聖母の象徴「海の星」)をあしらったもので1884年制定ました。
同じカナダのフランス系住民でもケベック人とは異なる歴史、文化と
アイデンティティを持っています。その多くはカトリック信徒です。
アカディアの守護聖人は被昇天の聖母です。アカディア人の話すフランス語
(Acadian French)は、フランスの古語や古い言い回しを今日まで保って
おり、発音も若干異なると言われます。
歴史上の軋轢から、年配のフランス系住民の間では現在に至るまで英国
および英語を母国語とする住民に対する反感が根強いのです。若い世代は
英語文化の浸透、また就職に有利なことから英仏バイリンガルであることが
多く、母語であるフランス語の喪失が危惧されているのです。
現在のアカディアは「国土なき国家」と呼ばれることもあります。
「赤毛のアン」でお馴染みのプリンスエドワード島も,今でこそ英国風の
島として知られていますが、実は、このアカディア人たちが最初の住民でした。
英国に追われ一部のアカディア人等が辿り着いた地が、今のアメリカ南部の
ルイジアンアやニューオリンズ一帯なのです。
(地名がフランスに因んでますね。)
そして、この地域の名物料理である「ケイジャン料理」とは、正に
彼らアカディア人(アカディアが訛ってケイジャンになったのです。)の
伝えた料理だったのです。
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