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エリア:
- アジア > 韓国 > 水原(スウォン)
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テーマ:
- お祭り・イベント
- / 世界遺産
- / 歴史・文化・芸術
日本でも人気があった韓国歴史ドラマ『イサン』の主人公、朝鮮王朝第22代国王・正祖(チョンジョ)が建設した水原華城(スウォン・ファソン)はソウルから日帰りで行ける有名観光地のひとつです。
ユネスコ世界文化遺産の水原華城
華城のある水原はソウルから南に約40km、鉄道や車で1時間のところにあり、人口は約100万人、首都圏のベッドタウンとなっています。歴史は古く、1千年前の統一新羅時代から存在しています。水原を有名にしているのは旧市街をぐるりと囲む城壁、水原華城です。全長5.7kmの城壁に八達門(パルタルムン)、長安門(チャンアンムン)をはじめとする東西南北の門、櫓、砲台等の軍事施設と国王が行幸した際の仮王宮・行宮(ヘングン)からなっています。かつての兵士の訓練所であった訪華随柳亭(パンファ・スリュジョン)という美しい庭園や、城郭と城内に流れ込む川が交差する地点にある、アーチ型の華虹門(ファホンムン)は当時の伝統建築を今に伝える貴重なものです。水原華城は1997年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。
訓練所だった美しい庭園・訪華随柳亭
今から約200年前、当時の国王であった正祖(チョンジョ)の命により1796年に完成しました。正祖は身分に関係なく優秀な人材を広く登用、王立図書館である奎章閣(キュジャンカク)を設置して学問を奨励、また軍隊を強化して国防に努めるなど、治世中は国が富み文化が花開きました。現在も歴代国王の中で高く評価されている国王のひとりです。正祖は宮廷の権力闘争で命を落とした父親・荘献世子(チャンホンセジャ)の陵墓をこの地に移し、ソウルから都を移すためにこの地に水原華城を建設しました。しかし華城が完成してから間もなく正祖は若くして急逝してしまいます。そして遷都も中止となりました。
王様パレード騎乗の隊列
夜間国楽公演・龍淵之夢
夜間軍事演習
毎年10月には正祖を偲び、水原華城文化祭が開かれます。正祖の行幸を模した王様パレードや当時の国家試験・科挙の再現、正祖が新設した軍隊・壮勇営(チャンヨンヨン)の訓練、正祖の母・恵慶宮洪氏(ヘギョングン・ホンシ)の還暦祝いなど様々な行事が開催されます。王様パレードは事前に申し込めば外国人も参加する事ができるので、祭りの期間中は国の内外から多くの見物客が訪れます。
恵慶宮洪氏還暦祝いの再現
水原川にかかるアーチが美しい華虹門
正祖と水原について、ある逸話が残されています。農業生産を向上させるため周辺農民の各世帯に3頭の牛を与え、毎年子牛が産まれたら1頭を国に返すことを定めました。後に牛の頭数に余裕が出て肉料理が発達、水原はカルビの街として知られるようになったというものです。

華城のある水原はソウルから南に約40km、鉄道や車で1時間のところにあり、人口は約100万人、首都圏のベッドタウンとなっています。歴史は古く、1千年前の統一新羅時代から存在しています。水原を有名にしているのは旧市街をぐるりと囲む城壁、水原華城です。全長5.7kmの城壁に八達門(パルタルムン)、長安門(チャンアンムン)をはじめとする東西南北の門、櫓、砲台等の軍事施設と国王が行幸した際の仮王宮・行宮(ヘングン)からなっています。かつての兵士の訓練所であった訪華随柳亭(パンファ・スリュジョン)という美しい庭園や、城郭と城内に流れ込む川が交差する地点にある、アーチ型の華虹門(ファホンムン)は当時の伝統建築を今に伝える貴重なものです。水原華城は1997年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。

今から約200年前、当時の国王であった正祖(チョンジョ)の命により1796年に完成しました。正祖は身分に関係なく優秀な人材を広く登用、王立図書館である奎章閣(キュジャンカク)を設置して学問を奨励、また軍隊を強化して国防に努めるなど、治世中は国が富み文化が花開きました。現在も歴代国王の中で高く評価されている国王のひとりです。正祖は宮廷の権力闘争で命を落とした父親・荘献世子(チャンホンセジャ)の陵墓をこの地に移し、ソウルから都を移すためにこの地に水原華城を建設しました。しかし華城が完成してから間もなく正祖は若くして急逝してしまいます。そして遷都も中止となりました。



毎年10月には正祖を偲び、水原華城文化祭が開かれます。正祖の行幸を模した王様パレードや当時の国家試験・科挙の再現、正祖が新設した軍隊・壮勇営(チャンヨンヨン)の訓練、正祖の母・恵慶宮洪氏(ヘギョングン・ホンシ)の還暦祝いなど様々な行事が開催されます。王様パレードは事前に申し込めば外国人も参加する事ができるので、祭りの期間中は国の内外から多くの見物客が訪れます。


水原川にかかるアーチが美しい華虹門
正祖と水原について、ある逸話が残されています。農業生産を向上させるため周辺農民の各世帯に3頭の牛を与え、毎年子牛が産まれたら1頭を国に返すことを定めました。後に牛の頭数に余裕が出て肉料理が発達、水原はカルビの街として知られるようになったというものです。
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