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- 第40回ユネスコ世界遺産委員会でトルコの「アニ遺跡」が登録されました。
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エリア:
- 中近東>トルコ>カルス
- 中近東>トルコ>イスタンブール
- 中近東>トルコ>キャフタ
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/08/11 02:55
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イスタンブルで開催された第40回ユネスコ世界遺産委員会でトルコ東部カルス県にある「アニ遺跡」が登録されることが決定致しました。。これに伴い、トルコからリスト登録数は16となった。
アニは、トルコとアルメニアの国境に沿って流れるアルパチャイ川の両側に、シルクロードの商業都市として建設された町です。アニ遺跡はトルコ領の、アルパチャイ川の西側の深い渓谷の中にあります。アナトリアの古代都市でもあるアニは、カルスから南東42キロに位置し、面積は5ヘクタールにおよびます。
アニ遺跡には、文化遺産に登録されている21の建築物が残されています。それ以外にも様々な一般建築が発見されており、一部は地下にもあるとされ、全体が第1級考古学遺跡エリアに指定されています。 それぞれの建築物には、ササン朝からアラブ、アルメニア、グルジアに至る、歴代支配者の文化と芸術の跡が色濃く残されています。また、宗教的にもキリスト教とイスラム教の両方の収集品が見つかっています。アニは数々の世界文明の発祥地であり、その意味でアニ遺跡は、世界にとって共通の遺産であると言えます。
主な遺跡
カーブ(洞窟):アニ周辺の岩壁は洞窟を掘削するのに適しており、墓、倉庫、住居、宗教行事などとして使用されました。階段を有する数階建ての住居も発見されています。
アナトリア地方01聖グレゴリオ教会:アニ北西の高原の、市の外壁近くに建つ教会。アニの教会は、市街から見たときに美しく映えるよう、平原の隅に建てられたと言われています。外壁は12面から成り、入り口は一般的な東西軸上でなく南西側にあります。内部は、外観からは想像できないほど広い作りになっています。
アナトリア地方01聖プリキッチ(ハラスカル)教会:アニ南東の大聖堂の近くに建つ、典型的なアルメニア式教会。壁には優美な文字で碑文が刻まれています。外観は円形に近い19角形で、内壁にはフレスコ画が描かれています。
アナトリア地方01大聖堂:アニ出身の著名な建築家が、バグラト朝時代に20年かけて建築したとされるバシリカ式大聖堂。アニの中央に位置し、建設には特有の赤い石灰華が使用されました。西側は一般の扉、南側は王の扉とされています。天井が高く、細長い窓とアーチで彩られています。ドーム(円天井)と鐘塔は北側の壁とともに倒壊してありません。
ティグラン・ホーネント教会:商人であったティグラン・ホーネントが、聖グレゴリオに献上する目的と、墓として使用する目的で建設した教会。内部に残るフレスコ画は建築当時のもので、イエス・キリストと聖グレゴリオの生涯を描いています。
エブー・マヌイェフル・ジャーミー:アルパチャイ川を見渡す山腹に建つ、現存するセルジュークの宗教建築としては最古のモスク。ミフラーブ(メッカの方角を示す窓)の代わりに、壁にくぼみが示されています。1906年まではモスクとして使用されていましたが、その後、ロシア人考古学者ニコライ・マルの博物館となりました。
セルジューク宮殿:アニ最北西の角に位置する、長方形の宮殿。大ホールと、ホールの周囲に配された小部屋から成ります。二階部分は破壊されましたが、一階と地下が残っています。東側のファサードの入り口に、見事な装飾を見ることができます。
シルクロード橋:バグラト朝時代に、アルパチャイ川を横断するために架けられた橋。長さ30メートルのアーチは倒壊しており、現存しているのは橋脚の部分です。橋はもう一本あったとされますが、遺構は見つかっていません。
アニは、トルコとアルメニアの国境に沿って流れるアルパチャイ川の両側に、シルクロードの商業都市として建設された町です。アニ遺跡はトルコ領の、アルパチャイ川の西側の深い渓谷の中にあります。アナトリアの古代都市でもあるアニは、カルスから南東42キロに位置し、面積は5ヘクタールにおよびます。
アニ遺跡には、文化遺産に登録されている21の建築物が残されています。それ以外にも様々な一般建築が発見されており、一部は地下にもあるとされ、全体が第1級考古学遺跡エリアに指定されています。 それぞれの建築物には、ササン朝からアラブ、アルメニア、グルジアに至る、歴代支配者の文化と芸術の跡が色濃く残されています。また、宗教的にもキリスト教とイスラム教の両方の収集品が見つかっています。アニは数々の世界文明の発祥地であり、その意味でアニ遺跡は、世界にとって共通の遺産であると言えます。
主な遺跡
カーブ(洞窟):アニ周辺の岩壁は洞窟を掘削するのに適しており、墓、倉庫、住居、宗教行事などとして使用されました。階段を有する数階建ての住居も発見されています。
アナトリア地方01聖グレゴリオ教会:アニ北西の高原の、市の外壁近くに建つ教会。アニの教会は、市街から見たときに美しく映えるよう、平原の隅に建てられたと言われています。外壁は12面から成り、入り口は一般的な東西軸上でなく南西側にあります。内部は、外観からは想像できないほど広い作りになっています。
アナトリア地方01聖プリキッチ(ハラスカル)教会:アニ南東の大聖堂の近くに建つ、典型的なアルメニア式教会。壁には優美な文字で碑文が刻まれています。外観は円形に近い19角形で、内壁にはフレスコ画が描かれています。
アナトリア地方01大聖堂:アニ出身の著名な建築家が、バグラト朝時代に20年かけて建築したとされるバシリカ式大聖堂。アニの中央に位置し、建設には特有の赤い石灰華が使用されました。西側は一般の扉、南側は王の扉とされています。天井が高く、細長い窓とアーチで彩られています。ドーム(円天井)と鐘塔は北側の壁とともに倒壊してありません。
ティグラン・ホーネント教会:商人であったティグラン・ホーネントが、聖グレゴリオに献上する目的と、墓として使用する目的で建設した教会。内部に残るフレスコ画は建築当時のもので、イエス・キリストと聖グレゴリオの生涯を描いています。
エブー・マヌイェフル・ジャーミー:アルパチャイ川を見渡す山腹に建つ、現存するセルジュークの宗教建築としては最古のモスク。ミフラーブ(メッカの方角を示す窓)の代わりに、壁にくぼみが示されています。1906年まではモスクとして使用されていましたが、その後、ロシア人考古学者ニコライ・マルの博物館となりました。
セルジューク宮殿:アニ最北西の角に位置する、長方形の宮殿。大ホールと、ホールの周囲に配された小部屋から成ります。二階部分は破壊されましたが、一階と地下が残っています。東側のファサードの入り口に、見事な装飾を見ることができます。
シルクロード橋:バグラト朝時代に、アルパチャイ川を横断するために架けられた橋。長さ30メートルのアーチは倒壊しており、現存しているのは橋脚の部分です。橋はもう一本あったとされますが、遺構は見つかっていません。
角の形をしたこの入り江は、ヨーロッパ側イスタンブールを2つに分けています。世界でも有数の天然港の一つであるため、ビザンチン帝国やオスマン帝国の海軍や海運業の利権などがここに集中しました。現在では、沈みゆく太陽が水面を黄金色に染める海岸沿いに、美しい公園や歩道が連なっています。
金角湾に向かう途中のフェネル や、バラット 周辺の通りには、ビザンチン、オスマン時代の木造家屋や教会、ユダヤ教の礼拝堂がたくさんあります。ここフェネルには、因習的な家父長制を守って暮らしている人たちがいます。
その少し先にある エユップ・モスク は、オスマン時代の建築様式をよく表わしています。糸杉が生い茂る丘の中腹には聖者エユップの墓があり、多くの参拝者たちが祈りを聞き入れてもらおうと願ってここにやってきます。モスクを見下ろす丘の頂上にあるピエール・ロティ・カフェは、静かに景色を楽しむのには絶好の場所でしょう。
芸術・文化・エンターティメント
イスタンブールは芸術・文化の国際的な中心地です。 国際芸術文化祭は毎年6月と7月に開かれ、世界中から著名な芸術家たちが集まってきます。これらの催しはほとんどアタチュルク文化センターで行なわれています。
クラシック音楽が好きな人には、ジェマル・レシット・レイ・ホールでの演奏がお勧めです。その他、オペラ、オペレッタ、バレエ映画、コンサート、展覧会、会議など、様々な催しが行なわれています。
イスタンブールにはまた、気軽に楽しめる娯楽も豊富にあります。ナイトクラブでは、トルコ歌謡から有名なベリーダンスまで、食事をしながら楽しめます。タクシム-ハルビエ地区には、最新のディスコ、キャバレー、ジャズクラブなどがあります。
スルタンアフメット地区にはビザンチン、オスマン時代の建物を改装したレストランが数多くあり、楽しい夜のひとときを過ごせるでしょう。
クムカ には多くの居酒屋、バー、フィッシュ・レストランがあり、魅力的な地区になっています。ベイヨオール地区の チチェク・パサジュは昔から軽い食事やシーフード料理が有名で、人々が気軽に出かけるところです。
同じ地区のチチェク・パサジュ近くにあるネヴィザデという狭い通りは、トルコの特別料理を食べたりラクを飲むには最高の場所でしょう。また、ベイリクドゥズにある広大な遊園地、タトゥリヤ・ジュムフリエッティも訪れたい場所のひとつです。
ボスポラス沿岸でイスタンブールのナイトライフを楽しむ最適の場所は、オルタキョイ でしょう。さまざまなナイトクラブ、ジャズクラブ、おいしいシーフードレストランやバーがあって、いつでも賑わっています。 エミノニュに行ったら、伝統的なオスマン時代の衣装を着た漁師たちの乗っているオスマン様式の船に乗ってみましょう。栄光の時代に思いを馳せ、有名でおいしいフライドフィッシュを味わうのも一興です。
金角湾に向かう途中のフェネル や、バラット 周辺の通りには、ビザンチン、オスマン時代の木造家屋や教会、ユダヤ教の礼拝堂がたくさんあります。ここフェネルには、因習的な家父長制を守って暮らしている人たちがいます。
その少し先にある エユップ・モスク は、オスマン時代の建築様式をよく表わしています。糸杉が生い茂る丘の中腹には聖者エユップの墓があり、多くの参拝者たちが祈りを聞き入れてもらおうと願ってここにやってきます。モスクを見下ろす丘の頂上にあるピエール・ロティ・カフェは、静かに景色を楽しむのには絶好の場所でしょう。
芸術・文化・エンターティメント
イスタンブールは芸術・文化の国際的な中心地です。 国際芸術文化祭は毎年6月と7月に開かれ、世界中から著名な芸術家たちが集まってきます。これらの催しはほとんどアタチュルク文化センターで行なわれています。
クラシック音楽が好きな人には、ジェマル・レシット・レイ・ホールでの演奏がお勧めです。その他、オペラ、オペレッタ、バレエ映画、コンサート、展覧会、会議など、様々な催しが行なわれています。
イスタンブールにはまた、気軽に楽しめる娯楽も豊富にあります。ナイトクラブでは、トルコ歌謡から有名なベリーダンスまで、食事をしながら楽しめます。タクシム-ハルビエ地区には、最新のディスコ、キャバレー、ジャズクラブなどがあります。
スルタンアフメット地区にはビザンチン、オスマン時代の建物を改装したレストランが数多くあり、楽しい夜のひとときを過ごせるでしょう。
クムカ には多くの居酒屋、バー、フィッシュ・レストランがあり、魅力的な地区になっています。ベイヨオール地区の チチェク・パサジュは昔から軽い食事やシーフード料理が有名で、人々が気軽に出かけるところです。
同じ地区のチチェク・パサジュ近くにあるネヴィザデという狭い通りは、トルコの特別料理を食べたりラクを飲むには最高の場所でしょう。また、ベイリクドゥズにある広大な遊園地、タトゥリヤ・ジュムフリエッティも訪れたい場所のひとつです。
ボスポラス沿岸でイスタンブールのナイトライフを楽しむ最適の場所は、オルタキョイ でしょう。さまざまなナイトクラブ、ジャズクラブ、おいしいシーフードレストランやバーがあって、いつでも賑わっています。 エミノニュに行ったら、伝統的なオスマン時代の衣装を着た漁師たちの乗っているオスマン様式の船に乗ってみましょう。栄光の時代に思いを馳せ、有名でおいしいフライドフィッシュを味わうのも一興です。
- もう一つのイスタンブール
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エリア:
- 中近東>トルコ>イスタンブール
- テーマ:観光地 世界遺産 グルメ
- 投稿日:2016/05/02 20:54
- コメント(0)
マルマラ海に浮かぶ9つの島からなるプリンセス諸島 は、ビザンチン時代の王子たちの幽閉所でした。今日では、夏の間、イスタンブールの裕福な人々が、涼しい潮風と19世紀の優雅な住居を求めて、避暑に来る場所となっています。 ブユック島 は、その中で一番大きな島です。ここでは松林の中で馬車に乗ったり、島の周りにある入り江の海辺でのんびり過ごすこともできます。その他、 クナル島、セデフ島、ブルガズ島、ヘイベリ島 も人気があります。フェリーはヨーロッパ、アジアの両側から定期的に出ています。夏期には、 カバタシュから高速海上バスが出ます。
イスタンブールから25キロ郊外、黒海沿岸のヨーロッパ側の キリオスには長く続く広い砂浜があり、夏の間中イスタンブールからの人出でにぎわっています。ヨーロッパ側の黒海の内陸部にある ベオグラードの森 は、イスタンブール周辺で一番大きな森です。週末になると、木陰でピクニックやバーベキューを楽しもうとイスタンブールから車でやって来る家族連れで賑わいます。また、古代からの7つの貯水池や、天然の泉がたくさんあって、気分をリフレッシュすることができます。オスマン帝国時代に造られたいくつかの水道橋(その中でも16世紀にシナンによって造られたモーロヴァ水道橋が最もすばらしい)が残っていて、自然の中に厳かな趣を添えています。ケメル・ゴルフカントリークラブの入り口を覆っているのは、同じくシナンの手による750メートルの長さのスルタン・スレイマン水道橋で、トルコの中では最長のものの一つです。500の厩舎のある乗馬センターでは、引き馬も楽しめます。
イスタンブールから25キロ離れたアジア側の ポロネズキョイ は、19世紀にポーランドの移民によって創設されたところです。イスタンブールの人たちは、牧歌的な風景の中で、散策、乗馬、そして伝統的なポーランド料理を楽しみます。
ウシュキュダルから70キロ離れ黒海に面した シレ には、砂浜、フィッシュ・レストランやホテルがあり、イスタンブール近郊で最も素敵な休日を過ごせる場所の一つでしょう。観光客に人気のあるシレ・ベジ(涼しげな綿素材の洋服)は、ここで作られています。イスタンブールから38キロの所にある バイラムオール・ダルジャ・バード・パラダイス と植物園 はユニークな憩いの場です。この広い公園では、世界中の様々な種類の鳥や植物が見られ、レストランや遊歩道も整っています。
イスタンブール南東にあるエスキヒサルは魅力ある漁村で、マルマラ海で遊ぶヨットマンが停泊できるマリーナがあります。町内に19世紀の大画家オスマン・ハムディ・ベイの家があり、現在は改装されて美術館になっています。近くにビザンチン時代の城があるほか、エスキヒサルとゲブゼの間にはハンニバルの墓があります。
シリヴリ 周辺はイスタンブールの人々の夏の別荘地として有名です。ここはイスタンブールから65キロ、休暇を過ごすのに人気の高い大リゾート地で、クラシス・ゴルフカントリークラブを含むスポーツジムやヘルスセンター、すばらしい食事の楽しめるレストランまで、あらゆる設備が整っています。ここにある会議場は、休日の仕事には都会の慌ただしさから開放されたいと思うビジネスマンたちに好評です。海上バスの定期便がイスタンブールとシリヴリを結んでいます。
イスタンブールから25キロ郊外、黒海沿岸のヨーロッパ側の キリオスには長く続く広い砂浜があり、夏の間中イスタンブールからの人出でにぎわっています。ヨーロッパ側の黒海の内陸部にある ベオグラードの森 は、イスタンブール周辺で一番大きな森です。週末になると、木陰でピクニックやバーベキューを楽しもうとイスタンブールから車でやって来る家族連れで賑わいます。また、古代からの7つの貯水池や、天然の泉がたくさんあって、気分をリフレッシュすることができます。オスマン帝国時代に造られたいくつかの水道橋(その中でも16世紀にシナンによって造られたモーロヴァ水道橋が最もすばらしい)が残っていて、自然の中に厳かな趣を添えています。ケメル・ゴルフカントリークラブの入り口を覆っているのは、同じくシナンの手による750メートルの長さのスルタン・スレイマン水道橋で、トルコの中では最長のものの一つです。500の厩舎のある乗馬センターでは、引き馬も楽しめます。
イスタンブールから25キロ離れたアジア側の ポロネズキョイ は、19世紀にポーランドの移民によって創設されたところです。イスタンブールの人たちは、牧歌的な風景の中で、散策、乗馬、そして伝統的なポーランド料理を楽しみます。
ウシュキュダルから70キロ離れ黒海に面した シレ には、砂浜、フィッシュ・レストランやホテルがあり、イスタンブール近郊で最も素敵な休日を過ごせる場所の一つでしょう。観光客に人気のあるシレ・ベジ(涼しげな綿素材の洋服)は、ここで作られています。イスタンブールから38キロの所にある バイラムオール・ダルジャ・バード・パラダイス と植物園 はユニークな憩いの場です。この広い公園では、世界中の様々な種類の鳥や植物が見られ、レストランや遊歩道も整っています。
イスタンブール南東にあるエスキヒサルは魅力ある漁村で、マルマラ海で遊ぶヨットマンが停泊できるマリーナがあります。町内に19世紀の大画家オスマン・ハムディ・ベイの家があり、現在は改装されて美術館になっています。近くにビザンチン時代の城があるほか、エスキヒサルとゲブゼの間にはハンニバルの墓があります。
シリヴリ 周辺はイスタンブールの人々の夏の別荘地として有名です。ここはイスタンブールから65キロ、休暇を過ごすのに人気の高い大リゾート地で、クラシス・ゴルフカントリークラブを含むスポーツジムやヘルスセンター、すばらしい食事の楽しめるレストランまで、あらゆる設備が整っています。ここにある会議場は、休日の仕事には都会の慌ただしさから開放されたいと思うビジネスマンたちに好評です。海上バスの定期便がイスタンブールとシリヴリを結んでいます。
- トルコ料理は世界中で有名です
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エリア:
- 中近東>トルコ>アンカラ
- 中近東>トルコ>アンタルヤ
- 中近東>トルコ>イスタンブール
- テーマ:観光地 グルメ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/04/30 10:55
- コメント(0)
食べ物だけを目当てにトルコに来る人がいるほど、トルコ料理は世界中で有名です。丹精込めた料理はシンプルでありながら新鮮な食材の味がうまく引き出されています。料理の種類は多く、コースではスープから始め、驚くほどバラエティに富んだメゼ(前菜)、肉料理、魚料理と続きます。すこし時間をおいてから、有名なトルコ菓子、ペストリーと続き、最後にトルココーヒーで終わります。トルコ料理には新鮮な材料がふんだんに使われており、トルコ国内でもさまざまな果物、野菜を作っているほか、三方を海に囲まれているため、トルコに水揚げされる魚の種類は数え切れません。
アルコール類は、軽めのトルコビール、地元で作られるワイン、トルコ独自のお酒である「ラク(アニゼット)」などがあります。ラクは水で割ると白く濁ることから「ライオンのミルク」と呼ばれています。ラクを飲むこと自体が儀式で、伝統的にいろいろなメゼ(“前菜”)がついてきます。
コーヒーや紅茶はどこへ行っても飲むことができ、また、瓶入りの飲料水やミネラルウォーターもどこでも手軽に買うことができます。水道水も飲めますが、塩素消毒がしてあるためあまりおいしくありません。
アルコール類は、軽めのトルコビール、地元で作られるワイン、トルコ独自のお酒である「ラク(アニゼット)」などがあります。ラクは水で割ると白く濁ることから「ライオンのミルク」と呼ばれています。ラクを飲むこと自体が儀式で、伝統的にいろいろなメゼ(“前菜”)がついてきます。
コーヒーや紅茶はどこへ行っても飲むことができ、また、瓶入りの飲料水やミネラルウォーターもどこでも手軽に買うことができます。水道水も飲めますが、塩素消毒がしてあるためあまりおいしくありません。
- 美しい馬の国カッパドキア
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エリア:
- 中近東>トルコ>カッパドキア
- テーマ:世界遺産
- 投稿日:2016/04/14 10:27
- コメント(0)
カッパドキアは、人間の手によって加えられた優美さと融合し、想像をはるかに超えた類まれな自然の驚異が、訪れる人の目の前に贅沢に、惜しみなく、繰り広げられています。
古代にカッパドキアと呼ばれた地域は、自然が生み出した最も奇抜で不思議な景観を呈しています。アクサライ、ネヴシェヒル、ニーデ、カイセリ、クルシェヒルなどの県がこの地域に含まれますが、ほとんどの人がカッパドキアと聞いて思い浮かべるのは、ウチヒサール、ギョレメ、アヴァノス、ユルギュップ、デリンクユ、カイマクル、ウフララ周辺でしょう。これらの地域は、何百万年という時の流れの中で、風変わりな地形へと変化しました。幽霊の出そうな“妖精の煙突”、地下何メートルもの深さに広がっている都市や教会などのすべてが、この世のものとは思えない現実離れした雰囲気に包まれています。
さあ、今すぐ準備してカッパドキア地方へ小旅行に出かけましょう。そこでは、母なる自然が、歴史、文化、芸術そして社会の生きた要素をしっかり結びつけ、想像も及ばない奇跡を丹念に生み出しています。
何百万年もの昔、カッパドキアの3つの山、エルジイェス、ハサン、ギュルルは活火山でした。証拠となる先史時代の洞窟の壁画から推測すると、火山活動は断続的に少なくとも新石器時代まで断続していたことになります。
噴火は中新世後期、すなわち7,000万年前以降に始まったとみられ、その間に火山から流れ出た溶岩が新第三紀に生じた湖に沈みました。主だった火山の噴出物でできた凝灰岩の台地は、より小規模で穏やかな噴火が繰り返される間に、絶え間なくその姿を変えていきました。
鮮新世後期以降、こうした凝灰岩の層は雨に打たれ、湖や川、特にクズルウルマック川によって浸食されて現在の姿になりました。洪水時に勢いを増して谷間を流れる水が強風とあいまって柔らかい溶岩を切り裂き、変化に富んだ固い地層がむき出しになった結果、“妖精の煙突”として知られる奇岩群を形成したのです。カッパドキアのこれらの奇岩には、円錐型、尖頭型、円柱型、キノコ型、帽子をかぶっているように見える形のものまであります!
古代にカッパドキアと呼ばれた地域は、自然が生み出した最も奇抜で不思議な景観を呈しています。アクサライ、ネヴシェヒル、ニーデ、カイセリ、クルシェヒルなどの県がこの地域に含まれますが、ほとんどの人がカッパドキアと聞いて思い浮かべるのは、ウチヒサール、ギョレメ、アヴァノス、ユルギュップ、デリンクユ、カイマクル、ウフララ周辺でしょう。これらの地域は、何百万年という時の流れの中で、風変わりな地形へと変化しました。幽霊の出そうな“妖精の煙突”、地下何メートルもの深さに広がっている都市や教会などのすべてが、この世のものとは思えない現実離れした雰囲気に包まれています。
さあ、今すぐ準備してカッパドキア地方へ小旅行に出かけましょう。そこでは、母なる自然が、歴史、文化、芸術そして社会の生きた要素をしっかり結びつけ、想像も及ばない奇跡を丹念に生み出しています。
何百万年もの昔、カッパドキアの3つの山、エルジイェス、ハサン、ギュルルは活火山でした。証拠となる先史時代の洞窟の壁画から推測すると、火山活動は断続的に少なくとも新石器時代まで断続していたことになります。
噴火は中新世後期、すなわち7,000万年前以降に始まったとみられ、その間に火山から流れ出た溶岩が新第三紀に生じた湖に沈みました。主だった火山の噴出物でできた凝灰岩の台地は、より小規模で穏やかな噴火が繰り返される間に、絶え間なくその姿を変えていきました。
鮮新世後期以降、こうした凝灰岩の層は雨に打たれ、湖や川、特にクズルウルマック川によって浸食されて現在の姿になりました。洪水時に勢いを増して谷間を流れる水が強風とあいまって柔らかい溶岩を切り裂き、変化に富んだ固い地層がむき出しになった結果、“妖精の煙突”として知られる奇岩群を形成したのです。カッパドキアのこれらの奇岩には、円錐型、尖頭型、円柱型、キノコ型、帽子をかぶっているように見える形のものまであります!
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