函館は幕末の歴史に大きく関わっている街であり、今回紹介する五稜郭は建設理由にも歴史的背景が感じられます。
1853年にアメリカ合衆国のペリー艦隊が来航(通称:黒船来航)したことをきっかけに、鎖
函館は幕末の歴史に大きく関わっている街であり、今回紹介する五稜郭は建設理由にも歴史的背景が感じられます。
1853年にアメリカ合衆国のペリー艦隊が来航(通称:黒船来航)したことをきっかけに、鎖国政策が終了。翌年1854年には「日米和親条約」を締結し、伊豆の下田と並んで“開港場”となったのが函館です。
当時、函館奉行の役所や役宅は港近くの市街地にありましたが、防衛上の理由等により内陸の平坦地へと移転させることとなりました。そうして建築されたのが五稜郭です。
五稜郭はヨーロッパで発達した「城郭都市」をモデルとして設計されています。近世ヨーロッパ式の城郭に特徴的な構造である「稜堡(りょうほ)」が5か所設置されている五稜星形の形状から「五稜郭」と呼ばれるようになりました。
また、五稜郭は“箱館戦争”の舞台としても有名です。
明治維新が起きた1868年、榎本武揚率いる旧幕府軍は江戸湾を脱走し蝦夷へと向かいます。その道中、土方歳三に率いられた新選組などと合流し、勢力を拡大しました。蝦夷に着くと、明治新政府の箱館府がある五稜郭及び箱館の制圧に成功します。
それに対し、新政府軍は、アメリカから引き渡された軍艦「甲鉄」を旗艦として、旧幕府軍を次々と撃破しながら五稜郭へ向かいます。
五稜郭以外を完全に制圧された旧幕府軍。土方歳三は市街地奪還のために隊を率いて出撃しましたが、新政府軍からの銃撃を受け絶命してしまいます。その直後、五稜郭も奪還され旧政府軍は完全に敗北します。
五稜郭タワーに登るとこの箱館戦争についてもっと詳しく解説があるので、ご興味のある方はぜひタワーにも足を運んでください。
このように歴史の深い五稜郭ですが、現在では、この五稜郭公園・
五稜郭タワーは函館観光の中でも有数の人気を誇るスポットとなっています。
桜の時期は遠路はるばる観光客が訪れるほど。五稜郭公園は起伏があり、高い位置から見下ろすように桜が見えるところがあったり、逆に下から見上げる場所もあり、さまざまな角度から桜を楽しむことができます。攻城されづらい造りが、有数のお花見スポットに変わった様が歴史のおもしろさを感じます。
五稜郭公園は25.2ヘクタール(東京ドーム約5個分)とかなり広いので、私は1時間ほどかけてノンビリ散歩を楽しんでいます。春の季節であれば桜を楽しむのも良いですし、お堀の水面に映る桜もまたきれいです。
函館駅から五稜郭までの行き方は、函館市電の函館駅前から乗車し五稜郭公園前で下車(乗車時間:約16分、料金:230円)。その後、徒歩約15分で五稜郭公園へ到着します。函館市電では市内主要の観光地へアクセスできるので公共交通機関でも不便さはありません。
レンタカーを借りて車で向かうのも良いですが、桜のピーク時にはかなり混みますのでご注意を。
五稜郭は、函館観光の中で、
函館山の夜景と並び外せない人気のスポットです。