「飯盛山」という名前の由来は、この山が飯を盛ったような形なので、この名前が付けられた。
江戸時代後期、戊辰戦争に際して新政府軍と幕府方の会津藩の間で発生した会津戦争に際して、会津藩では藩士子弟
「飯盛山」という名前の由来は、この山が飯を盛ったような形なので、この名前が付けられた。
江戸時代後期、戊辰戦争に際して新政府軍と幕府方の会津藩の間で発生した会津戦争に際して、会津藩では藩士子弟の少年たちで構成される白虎隊が結成され、抗戦した。そのうち士中二番隊が戸ノ口原の戦いにおいて敗走し、撤退する際に飯盛山に逃れ、鶴ヶ城周辺の城下町が燃えているのを落城と錯覚し、もはや帰るところもないと絶望して自刃した地である。
「白虎隊十九士の墓」には、年間200万人の観光客が訪れる。山のふもとには土産屋が並ぶが、この土産屋一帯は昔から存在し、無料の看板で駐車場へ誘うものの、土産物屋で買い物を迫る「買うように迫る商法」とよく言われ、強烈な勧誘で有名である。山へ登るには、徒歩で登るコースと「飯盛山スロープコンベア」(有料エスカレータ)で登るコースがある。
中腹には、日本でも珍しい木造建築物栄螺堂(さざえどう)(旧正宗寺三匝堂)がある。上りと下りで、同じ道を通らず抜けられるという仕組みで、国の重要文化財に指定されており、これ目当てで観光に来る客も多い。
頂上からは、会津若松市内が一望できる。テレビ朝日系ドラマ『白虎隊』のロケ地でもある。