江戸時代から1989(平成元)年の操業停止に至るまで約400年もの間、金銀の採掘が続けられた鉱山跡として知られる史跡佐渡金山。その金鉱脈は東西3,000m、南北600m、深さ800mにまで広がる規模であった
江戸時代から1989(平成元)年の操業停止に至るまで約400年もの間、金銀の採掘が続けられた鉱山跡として知られる史跡佐渡金山。その金鉱脈は東西3,000m、南北600m、深さ800mにまで広がる規模であったといわれています。
佐渡には、西三川砂金山、鶴子銀山、相川金銀山をはじめ、金、銀などを産出していた鉱山が55カ所もあり、点在する坑道跡や産業遺産の一部は観光用に一般公開されています。
佐渡金山を代表する見学コースとして人気なのが、「宗太夫坑(そうだゆうこう)」という江戸時代に開発された手掘りの坑道。坑内ではリアルな表情の人形たちによって当時の作業の様子が再現されています。
また、1899(明治32)年に開削された「道遊坑(どうゆうこう)」も一般公開され、採掘作業で使われていたトロッコなども保存されています。道遊坑の近くには、採掘によって山がV字型に大きく切れ込んだ道遊の割戸(どうゆうのわりと)があり、ここは佐渡金山のシンボルともいわれているスポット。
2024年7月に「佐渡島の金山」として、県内では初めての世界文化遺産に登録されました。