武家屋敷跡野村家は、武家文化を伝える施設として一般公開されている観光施設。野村家は代々、御馬廻組組頭や奉行職を歴任してきた名家で、江戸時代が終わりを告げてからは住人も変わり、屋敷は大聖寺藩(加賀藩の支藩で現
武家屋敷跡野村家は、武家文化を伝える施設として一般公開されている観光施設。野村家は代々、御馬廻組組頭や奉行職を歴任してきた名家で、江戸時代が終わりを告げてからは住人も変わり、屋敷は大聖寺藩(加賀藩の支藩で現在の加賀市)にあった豪商の邸宅を移築して現在に至ります。
屋敷には移築前に屋敷があった大聖寺藩の藩主を招いた上段の間と謁見の間があり、加賀藩お抱えの絵師、狩野派の佐々木泉景(ささきせんけい)が描いた襖絵などが格式の高さを物語ります。そして建物とともに評価が高いのが、野村家がこの地に屋敷を構えたときからある庭園。屋敷前を流れる大野庄用水の水を屋敷内に引き入れ、池を上下2段に分けて水の流れを表現した立体的かつ大胆な構造で、加賀藩がどれだけ豊かだったかを物語る名園です。
屋敷の2階には、茶室「不莫庵(ふばくあん)」があり、お抹茶とお干菓子(有料)を味わうこともできます。階下を流れる水の音を聞きながら味わうお茶は格別。茶室からも庭園を見渡せるので、縁側とはまた違った視点で名園を楽しめます。
敷地内には「鬼川文庫」と名付けられた展示資料館もあります。名前の由来は江戸時代に一帯の用水を「鬼川」と呼んでいたこと。展示室には野村家に代々伝わる刀剣や書状、工芸品が展示されていて、歴史好きにはたまらない空間になっています。