近鉄奈良駅から南へ徒歩約15分のところにある、世界遺産「古都奈良の文化財」のひとつ、元興寺。現在の境内は、国宝にも指定されている極楽堂(極楽坊本堂・曼荼羅堂)と禅室を中心とした一角だけですが、奈良時代の創建
近鉄奈良駅から南へ徒歩約15分のところにある、世界遺産「古都奈良の文化財」のひとつ、元興寺。現在の境内は、国宝にも指定されている極楽堂(極楽坊本堂・曼荼羅堂)と禅室を中心とした一角だけですが、奈良時代の創建当初は、現在のならまち全体を含む規模にまで広がっていました。
もとは、聖徳太子とともに仏教を広めようとした蘇我馬子が飛鳥の地に建てた
法興寺(飛鳥寺)が前身。その後、平城遷都に伴い、718年に現在の場所へ移され、元興寺と改名しました。当時は、南大門、中門、金堂、講堂、食堂などが甍を連ね、諸寺をリードする力を持った大寺院でした。今残る極楽堂と禅室は、当時の僧坊のほんの一部分です。
かつては南都七大寺のひとつだった元興寺ですが、平安時代後期になると中央政府の力が衰えるとともに、寺の力も衰退していきます。そんななかで寺を支えたのは庶民でした。極楽往生を願う人々が、奈良時代の元興寺の僧、智光が描いた智光曼荼羅(重要文化財)を信仰し、鎌倉時代にはこれを中心に据えて僧坊を極楽堂に改築しました。その後、火災や明治時代の廃仏の動きなどを経て、現在の元興寺があります。
極楽堂内部を拝観した後は、極楽堂と禅室の屋根瓦にも注目してみてください。なめらかな現代の瓦とは色の違う部分が、飛鳥・奈良時代の古瓦です。また、現在の境内から南側の芝新屋町には当時の東大塔の礎石が、南西側の西新屋町には西小塔院跡が残っているので、ならまち散策の際に訪ねてみるのもオススメ。当時の境内がいかに大きかったか実感できるはずです。
戦後、行われた解体修理や、ならまちでの発掘などで、寺にまつわるさまざまな史料が発見され、境内の一角に建てられた法輪館(収蔵庫)ではその一部を見ることができます。また、元興寺では寺独自の文化財研究所を設立し、文化財保護の研究も進めています。
拝観するにあたって、これまで経てきた時代の流れや人々の思いを知っておけば、より深く元興寺の魅力を知ることができるでしょう。