戦国時代に中四国エリアで強大な力を誇った毛利氏。
毛利氏はもともと山間部の吉田郡山城が居城でしたが、自らの支配圏を拡大し、秀吉が天下を手中に収め治安が安定する過程で、瀬戸内の地の利がある現広島市内に本
戦国時代に中四国エリアで強大な力を誇った毛利氏。
毛利氏はもともと山間部の吉田郡山城が居城でしたが、自らの支配圏を拡大し、秀吉が天下を手中に収め治安が安定する過程で、瀬戸内の地の利がある現広島市内に本拠地を移しました。
築城開始は1589年で、城主が入場したのは1591年。当時の規模は天下人、秀吉の
大阪城に匹敵する規模だったそうです。
五重五層の大天守に小天守を2基重ねた連結式天守は迫力があり、二の丸の櫓も見事な存在感があります。
1945年までは天守をはじめとする建築物が残っていたそうですが、8月6日に原子爆弾が投下されて往時の建物は破壊されました。石垣には原子爆弾の熱によって焼かれた跡が生々しく残っています。
広島城の別名は「鯉城(りじょう)」。城のある土地がかつて「己斐浦(こいのうら)」と呼ばれていたことにちなむようです。