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丸亀城

概要

丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66メートル)を利用し、縄張りはほぼ四角形で亀山の廻りを堀(内堀)で囲む、渦郭式の平山城である。石垣は、緩やかであるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、頂は垂直
丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66メートル)を利用し、縄張りはほぼ四角形で亀山の廻りを堀(内堀)で囲む、渦郭式の平山城である。石垣は、緩やかであるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、頂は垂直になるよう独特の反りを持たせる「扇の勾配」と呼ばれる。山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると60メートルになり、総高としては日本一高く、三の丸石垣だけで一番高い部分は22メートルある。誤解されやすいが、あくまで総高としての日本一であり、単体としての日本一高い石垣は大坂城で、僅差で上野城が続いている。ちなみに大坂城は実測値33メートル、上野城の高さは約30メートルである。

頂部の本丸には江戸時代に建てられた御三階櫓が現存する。この建物は唐破風や千鳥破風を施して漆喰が塗られ高さは15メートルあり、現存天守の中で最も小規模である。天守の形成した時代に関する研究としては、元和元年の武家諸法度以降、天守は新造されることがなかったとして丸亀城を三重櫓とする説や、京極氏が入封後に幕府に許可を得て櫓を建てたという説、すでに明暦の丸亀城郭を記した讃岐国丸亀城(大洲絵図)を根拠に、京極入封以前の山崎時代に櫓や石垣がほぼ整っていたとする研究がある。

内堀の周囲には侍屋敷が建ち並び、この周囲を外堀が方形に取り囲んでいた。侍屋敷は明治時代に大半が取り壊され跡地に善通寺第11師団の丸亀歩兵第12連隊、裁判所や小・中学校などが建てられた。外堀は明治頃まで存在していたが、琴平参宮電鉄の路線延長とその後の廃線や旧国道11号(県道33号線)の整備などにより、年とともに減少し、一部残されていた南側の箇所も今は埋め立てられ、外濠緑道公園として整備されている。

城跡の全域は国の史跡に指定されており亀山公園となっている。天守のほかに大手一の門・大手二の門・藩主玄関先御門・番所・御籠部屋・長屋が現存しており、そのうち天守・大手一の門・大手二の門は重要文化財に指定されている。 城の大手改修の時に、絵図と共に幕府に提出されたという「丸亀城木図」という木型の立体模型が残っている(丸亀市立資料館所蔵)。木型模型(1/650)の現存例は丸亀城のものしかなく非常に珍しい。これは平成4年に丸亀市の指定有形文化財になっている。 大手門と天守が両方とも現存しているのはこの丸亀城と、弘前城と高知城のみである。
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