1. 旅行比較サイト トラベルコ
    1. 旅行比較サイト トラベルコ
    2. トラベルコまとめ
    3. 海外
    4. ヨーロッパ
    5. ギリシャ
    6. アテネ
    7. アテネ観光で絶対に行くべきおすすめ観光スポット15選!
オリコン顧客満足度®ランキング「航空券・ホテル比較サイト」で2年連続1位を獲得 [プレスリリース]

アテネ観光で絶対に行くべきおすすめ観光スポット15選!

  • 更新日 2025年03月19日 |閲覧数: 83,476
  • クリップボードにURLコピーしました。
  • まとめ記事作成 トラベルコ事務局

ギリシャの首都、アテネの押さえておくべき人気観光スポット・名所をご紹介! パルテノン神殿をはじめ、古代遺跡と近代的な建物が織りなす神話の都市、アテネには見どころがたくさん。アテネを知り尽くしたプロのクチコミを元に、厳選した観光情報をまとめました。

トラベルコでアテネ旅行の最安値を探そう

目次

アクロポリス

3000年の歴史を誇る信仰の丘、アテネ観光のハイライト

“アクロポリス”と呼ばれる場所はギリシャ各地にあります。もともとはその土地の王族の宮殿が置かれ、宗教儀式などにも利用されていましたが、都市国家(ポリス)の成立に伴って守護
神を祭る聖地へと変化していきました。 アテネのアクロポリスも、ミケーネ時代(紀元前13〜12世紀)には現在のエレクティオンの位置に“メガロン”と呼ばれる王宮が建っていまし
続きを読む
“アクロポリス”と呼ばれる場所はギリシャ各地にあります。もともとはその土地の王族の宮殿が置かれ、宗教儀式などにも利用されていましたが、都市国家(ポリス)の成立に伴って守護神を祭る聖地へと変化していきました。
アテネのアクロポリスも、ミケーネ時代(紀元前13〜12世紀)には現在のエレクティオンの位置に“メガロン”と呼ばれる王宮が建っていました。この王宮には最初の王ケクロプスの墓所があり、当時はこの王を祭っていたのです。

アテネのアクロポリスが女神アテーナーの聖地となるのは、最初のパルテノン神殿が建造された紀元前560年ごろのことです。その後、さまざまな侵略者や自然災害によって破壊と再建を繰り返してきましたが、3000年の時を経た今もアクロポリスはアテネ市民の暮らしを見守っています。

現存する建造物は、プロピュライアとパルテノン神殿、エレクティオン、そしてアテーナー・ニケ神殿です。この勝利の女神アテーナー・ニケ神殿はプロピュライアの左側(向かって右側)に位置しており、うっかりすると見逃すので注意してください。

地下鉄アクロポリス駅からのアクセスは、石畳の遊歩道ディオニシウ・アレオパギトゥ沿いに丘を半周するのが正規のルートですが、これだとかなり遠回りになり、炎天下で券売所や遺跡の入口、プロピュライアで並ぶことになります。

そこで、もし古代アゴラやゼウス神殿など他の遺跡も回るつもりなら、遺跡共通入場券*(30ユーロ)を事前にオンライン購入しておき、ディオニューソス劇場の入口から入ることをおすすめします。こちらは丘の中腹を歩くルートで距離も短縮でき、また途中の木陰で休憩することもできます。

その他の注意点として、夏場は気温が上がる午後の時間帯を避け、できるだけ午前中に見学すること。遺跡内は日陰がないため、帽子とサングラスを着用することをおすすめします。

また、遺跡内は必ずしも平たんではなく、ところどころに岩肌が露出して滑りやすくなっています。写真撮影に気を取られて足を滑らせると、大変危険ですので足元には充分注意してください。

もうひとつ、安全上の理由からスーツケースなどキャリーバッグの持ち込みは禁止されています。バックパックやハンドバッグは問題ありません。

なお、3月6日、4月18日、5月18日、9月最後の週末、10月28日は入場無料となります。

* 遺跡共通入場券について
遺跡共通入場券(30ユーロ)を購入すると、アクロポリス、アクロポリスの北斜面、アクロポリスの南斜面、古代アゴラ、古代アゴラ博物館、ケラミコス、ケラミコス考古学博物館、ローマンアゴラ、ゼウス神殿、ハドリアヌスの図書館、リケイオンの考古学遺跡に入場できます。ただし、アクロポリスへの入場は事前に時間指定が必要。この入場券は5日間有効です。

アクロポリスの基本情報

  • クリップボードにURLコピーしました。

古代アゴラ

民主主義と哲学を育んだ都市国家アテナイの文化の中心地

アクロポリスの北西に位置する古代アゴラは、都市国家アテナイの市民が集い、情報や意見を交換し、文化を育んだ社会・宗教活動の中心地です。民主主義はこの地で生まれ、ソクラテスは
この広場を歩いて哲学を説きました。 “アゴラ”の原義は「集会の広場」で、市民が集まって告知を聞いたり、兵士を招集したり、あるいは政治について論じる場所でした。それが、集ま
続きを読む
アクロポリスの北西に位置する古代アゴラは、都市国家アテナイの市民が集い、情報や意見を交換し、文化を育んだ社会・宗教活動の中心地です。民主主義はこの地で生まれ、ソクラテスはこの広場を歩いて哲学を説きました。
“アゴラ”の原義は「集会の広場」で、市民が集まって告知を聞いたり、兵士を招集したり、あるいは政治について論じる場所でした。それが、集まった人々に物を売る出店が増え、徐々に青空市場へと変容していきました。

ペルシャ戦争以前のアゴラはアクロポリスの北東部(現在のプラカ周辺)にあったのですが、ペルシャ軍によって破壊し尽くされ、戦争後、疎開先からアテネに戻った市民はその復興を諦め、現在の場所に新たなアゴラを建造しました。

再建されたアゴラには裁判所や会議場、図書館、迎賓館などの公的建物のほか、へファイストス神殿(現存)、アポロン神殿、アフロディーテ神殿、アレス神殿などの宗教施設が建ち並んでいました。

アクセスは、地下鉄モナスティラキ駅からアドリアヌ通り沿いに徒歩2~3分。こちらの入口は混み合うため、遺跡共通入場券*(30ユーロ)を事前にオンライン購入しておくと、並ばずに入ることができます。

遺跡に入ると、正面にアクロポリスの丘を望むパナシナイオン大通りに出ます。左手にアッタロスの柱廊、右手にはアグリッパのオディオン(劇場)を飾った3体の彫像が並んでいます。現存する建造物は、アッタロスの柱廊とへファイストス神殿のみですが、再現図と遺構を見比べながら古代の市場に思いを馳せるといいでしょう。古代の水時計など、思わぬ発見があるかもしれません。

夏場は日差しを遮る場所が無いため、帽子やサングラスの着用をおすすめします。スーツケースなど、大型荷物の持ち込み不可。バックパックやハンドバッグは可。

なお、3月6日、4月18日、5月18日、9月最後の週末、10月28日は入場無料となります。

* 遺跡共通入場券について
遺跡共通入場券(30ユーロ)を購入すると、アクロポリス、アクロポリスの北斜面、アクロポリスの南斜面、古代アゴラ、古代アゴラ博物館、ケラミコス、ケラミコス考古学博物館、ローマンアゴラ、ゼウス神殿、ハドリアヌスの図書館、リケイオンの考古学遺跡に入場できます。ただし、アクロポリスへの入場は事前に時間指定が必要。この入場券は5日間有効です。

古代アゴラの基本情報

  • クリップボードにURLコピーしました。

アテネ国立考古学博物館

ギリシャ全土から古代の秘宝が集結

多くの考古学博物館は、その地域で発見された考古学遺産を展示していますが、国立考古学博物館は、アテネとアッティカだけではなく、ギリシャ全土からの貴重な出土品を展示しています
。展示スペースは8,000平方メートルと、ギリシャ最大の博物館で、展示物の数は1万点以上に上ります。 アテネの考古学博物館を見るコツは、できるだけ順路を守ること。その理由
続きを読む
多くの考古学博物館は、その地域で発見された考古学遺産を展示していますが、国立考古学博物館は、アテネとアッティカだけではなく、ギリシャ全土からの貴重な出土品を展示しています。展示スペースは8,000平方メートルと、ギリシャ最大の博物館で、展示物の数は1万点以上に上ります。
アテネの考古学博物館を見るコツは、できるだけ順路を守ること。その理由は、展示が時代順になっているので、順路に従って見ることで、ギリシャ美術、文化の発展をたどれるからです。

まず、最初に進むのは、入口から入ってまっすぐ進んだところにある部分。三つのセクションに分かれており、中心がミケーネ文明、左側が石器時代、右側がキクラデス文明となります。石器時代の部分は幾分マニアックですが、キクラデス文明やミケーネ文明の部分は、世界史の教科書で見覚えのある秘宝が並んでいます。

次は、ミケーネ・セクションを出て右手の入口に入り、彫刻コレクションを見ましょう。最初は幾何学文様時代。そして、アーカイック期、古典期、ヘレニズム期、ローマ期で終わり、元の場所に出てきます。古代彫刻の変遷を見る時に注目するのは、動きの表現。アーカイック時代の彫刻は静的ですが、時代が進むにつれ、動きの表現が変わり、劇的・躍動的になっていきます。

博物館のメイン・コレクションである彫刻とは別に、ブロンズのコレクション(古代のコンピューターとも呼ばれる「アンティキシラ・メカニズム」はここにあります)、陶器、エジプト古代、キプロス古代のコレクションなども展示されています。一回で全部を見切るのは大変ですが、余裕のある方や、これらのテーマに興味のある方はのぞいてみてください。

そして最後に、本当に考古学・古代史好きの方にしか興味がないかもしれませんが、碑文博物館もあります。同じ建物なのですが、入口もチケットも別になりますのでご注意ください。

アテネ国立考古学博物館の基本情報

  • クリップボードにURLコピーしました。

パルテノン神殿

西欧文明と民主主義のシンボル! ドーリア式神殿建築の最高峰

実は、オリュンポスの12神はさまざまな地方で祭られていた神々の集合体で、アフロディーテはキプロス島、ディオニソスやアレスは北部トラキア地方といった具合です。 アテーナー
はミケーネ人が信仰していた女神で、その意味では正統なギリシャの神といえるのでしょう。アルゴ船の遠征やトロイア戦争はミケーネ時代の出来事で、その際、女神アテーナーがイアソンや
続きを読む
実は、オリュンポスの12神はさまざまな地方で祭られていた神々の集合体で、アフロディーテはキプロス島、ディオニソスやアレスは北部トラキア地方といった具合です。
アテーナーはミケーネ人が信仰していた女神で、その意味では正統なギリシャの神といえるのでしょう。アルゴ船の遠征やトロイア戦争はミケーネ時代の出来事で、その際、女神アテーナーがイアソンやアキレスなどの英雄を加護したのはそのためです。

同じ戦争の神でも、蛮勇のアレスより知略のアテーナーを好んだことからも、アテナイの人々が知性を尊んでいたことがうかがえます。

神話の話はさておき、もともと初代王ケクロプスを祭っていたアクロポリスに、女神アテーナーの神殿を建設したのが紀元前560年ごろのこと。この最初の神殿は間もなく倒壊してしまいます。

続いて、紀元前490年に“プロパルテノン”と呼ばれる大理石の神殿の建造が始まりますが、ペルシャ戦争の勃発によって中断され、結局、完成することはありませんでした。

現存するパルテノン神殿は、ペルシャ戦争に勝利した後の紀元前447年に着工し432年に完成。ドーリア式建築物の最高峰と目される壮麗な神殿です。ビザンチン帝国時代の6世紀には聖母マリア教会として、またオスマン帝国時代の15〜16世紀にはイスラム教のモスクとして使われた歴史があります。

当面の間、神殿正面の修復が行われており、足場が組まれていてあまり美しくありません。それよりも、後方ないし左後方から撮影した方が良い絵が撮れます。

岩肌が剥きだしている部分は滑るので、足元には充分注意してください。
また、直射日光対策として、帽子やサングラスの着用をおすすめします。

アクロポリス内につき、パルテノン神殿の入場料はアクロポリスの入場料(20ユーロ)に含まれます。アクロポリス周辺の遺跡を回れる遺跡共通入場券(30ユーロ)もあります。また、アクロポリスへの入場は事前に日時指定が必要。

なお、3月6日、4月18日、5月18日、9月最後の週末、10月28日は入場無料です。

パルテノン神殿の基本情報

  • クリップボードにURLコピーしました。

新アクロポリス博物館

古代の信仰を現代に蘇らせる、明るく開放的な博物館

2009年にオープンした新アクロポリス博物館は、遺跡発掘現場の上に浮かせた近代的な建物もさることながら、聖なる丘から出土した彫刻や遺物を時代やテーマ別に展示。高い天井と、
ガラス張りの外壁から注ぐ自然光によって、開放感のあふれるギャラリーが魅力です。 1階から2階へ向かうアプローチには、丘の斜面から出土した各種の彫刻や陶器類。正面階段を登っ
続きを読む
2009年にオープンした新アクロポリス博物館は、遺跡発掘現場の上に浮かせた近代的な建物もさることながら、聖なる丘から出土した彫刻や遺物を時代やテーマ別に展示。高い天井と、ガラス張りの外壁から注ぐ自然光によって、開放感のあふれるギャラリーが魅力です。
1階から2階へ向かうアプローチには、丘の斜面から出土した各種の彫刻や陶器類。正面階段を登って右側がアルカイック期の出土品(このギャラリーのみ撮影不可)。左側は紀元前5世紀~紀元5世紀の彫刻や古代都市を再現したジオラマなどが展示されています。

展示されている彫像は頭部が欠損しているものが多いので、ちょっとだけ神話のうんちくを。女神アテーナーの像は、英雄ペルセウスが献じたメデューサの首の胸飾りで判別できます。死してなお見る者を石化してしまうこのメデューサの頭部は、その後、厄除けとして人気を博し、中東からシルクロードを渡って日本に伝来。私たちにもお馴染みの鬼瓦となりました。

2階から3階へ上る階段下、博物館の吹き抜け部分に張り出した特設スペースに、エレクティオンのカリアテッド(女性像)が5体、静かに立っています。本来は6体でしたが、19世紀に英国のエルギン卿によって持ち去られ、今は大英博物館にいる姉妹を待ちわびるかのように、前列右側のスペースが空席になっています。

3階はカフェとミュージアムショップ。とくに屋外のカフェは、アクロポリスを一望する景色が素晴らしく、ここでいただくコーヒーは格別です。

そして、4階のパルテノンギャラリー。パルテノン神殿と同数のステンレス製柱を並べ、さまざまな神話を描いたレリーフが展示されています。

2019年の夏から、ミュージアム下の遺跡に入れるようになりました。遺跡の入口は、ミュージアムを出て右手のスロープを下ったところにあります。見学料はミュージアムの入場料に含まれているので、入場券を提示してください。

地下鉄アクロポリス駅から徒歩1分。
入館時に手荷物検査があります。大型の荷物は持込み不可。
館内無料Wi-Fiあり。携帯電話の使用はロビー、レストラン、カフェのみに限定されます。

2階のアルカイックギャラリーを除き、館内撮影可。ただし、フラッシュや三脚、照明器具の使用は禁止されます。
また同ミュージアムでは、自身のスマートフォンを利用したオーディオガイドもあります(ギリシャ語・英語対応のみ)。

イースター直前の金・土曜、クリスマスイブと大みそかは営業時間が短縮されるので要注意。
3月6日、3月25日、5月18日、10月28日は入場無料です。

新アクロポリス博物館の基本情報

  • クリップボードにURLコピーしました。

エレクティオン神殿

神話と歴史が凝縮された、古代アテナイ人にとって最も神聖な場所

この場所には、もともとミケーネ時代の王宮“メガロン”が建っていました。その後、女神アテーナーや海神ポセイドン、ヘファイストスのほか、初代の王ケクロプスなどの英雄も祭られる
ようになり、神殿的な意味合いを増していきます。 女神アテーナーと海神ポセイドンがアテナイの守護神の座を争った際に、ポセイドンがトライデント(三叉槍)で突いて噴き出したとい
続きを読む
この場所には、もともとミケーネ時代の王宮“メガロン”が建っていました。その後、女神アテーナーや海神ポセイドン、ヘファイストスのほか、初代の王ケクロプスなどの英雄も祭られるようになり、神殿的な意味合いを増していきます。
女神アテーナーと海神ポセイドンがアテナイの守護神の座を争った際に、ポセイドンがトライデント(三叉槍)で突いて噴き出したという塩水の井戸や、アテーナーが槍で突いた岩から飛び出したというオリーブの木もここにあります。

また、神殿北側の地面にはヘファイストスと女神アテーナーの子で伝説の竜王エリクトニウスが住んだとされる穴があります。

エレクティオンで最も目を引くのが、神殿南西部に立つ6体の女性像(カリアテッド)。この下が初代王ケクロプスの墓所でした。

現存するエレクティオンの建設は紀元前421年に着工し、407年に完成。イオニア式建築で、構造が複雑なうえに傾斜地に建てられたことから、修復が繰り返されてきました。

パルテノン神殿同様、ビザンチン帝国時代はキリスト教会、フランク人の統治時代は宮殿、オスマン帝国時代はトルコ人司令官のハーレムとして利用されていたようです。

撮影スポットは、やはりカリアテッドが並ぶ神殿の南西側。6本の柱が並ぶ東側。北側の正面入口と女神アテーナー由来のオリーブの木の辺りがおすすめ。

岩肌が剥き出している部分は滑るので、写真撮影の際は足元に充分注意してください。

アクロポリス内につき、エレクティオン神殿の入場料はアクロポリスの入場料(20ユーロ)に含まれます。アクロポリス周辺の遺跡を回れる遺跡共通入場券(30ユーロ)もあります。また、アクロポリスへの入場は事前に日時指定が必要。

なお、3月6日、4月18日、5月18日、9月最後の週末、10月28日は入場無料です。

エレクティオン神殿の基本情報

  • クリップボードにURLコピーしました。

リカヴィトスの丘

アテネ市全域を一望できる絶景スポット

地下鉄のエバンゲリスモス駅からプルターフ通りを丘に向かって登り、突き当たりからさらに200段ほど階段を登ると、“フェニキュラ”レールウェイと呼ばれるケーブルカーの乗り口に
到着します。ここまで徒歩で10〜15分ほど。 ケーブルカーは午前9時から翌朝の2時30分まで30分おきに(ピーク時は異なる)運行しており、往復の乗車料金は大人10ユーロ、
続きを読む
地下鉄のエバンゲリスモス駅からプルターフ通りを丘に向かって登り、突き当たりからさらに200段ほど階段を登ると、“フェニキュラ”レールウェイと呼ばれるケーブルカーの乗り口に到着します。ここまで徒歩で10〜15分ほど。
ケーブルカーは午前9時から翌朝の2時30分まで30分おきに(ピーク時は異なる)運行しており、往復の乗車料金は大人10ユーロ、片道の場合は大人7ユーロ。2両編成のケーブルカーはトンネル内を走っており、乗車時間は2分ほどです。

リカヴィトスは標高277mほどの丘で、名前の由来は「狼が歩いた場所」。また、神話では、女神アテナがアクロポリスを建設中に誤って落っことした巨岩といわれています。

頂上には19世紀に建造された聖イオルゴス教会の礼拝堂と鐘楼、レストラン、カフェがあり、アテネ市全域を360度のパノラマビューで楽しめます。

人気の撮影スポットは、もちろんアクロポリスを見下ろす展望ポイント。が、このポイントは狭く、2〜3人しか立てないため列ができることも。教会正面の右側に位置しているので、まずそこへ直行し、それからゆっくりと周辺を歩くといいでしょう。

礼拝堂は日中開いており、内部を見学することができます。ざっと見た限りで「撮影禁止」のサインはありませんでしたが、祈りの場所ですので節度ある行動をお願いします。

リカヴィトスの丘の基本情報

  • クリップボードにURLコピーしました。

ゼウス神殿

ギリシャに残る最大の神殿

アテネの古代遺跡の中では知名度がいまひとつではありますが、これはギリシャに残る最大の神殿跡。迫力満点なので、足を延ばす価値があります。 この神殿は、古典期に建てられたア
クロポリスの丘のパルテノン神殿やアゴラの丘のヘファイストス神殿より少し後、ヘレニズム時代の建築物です。 この場所でのゼウス神崇拝はもっと古い時代にさかのぼります。紀元
続きを読む
アテネの古代遺跡の中では知名度がいまひとつではありますが、これはギリシャに残る最大の神殿跡。迫力満点なので、足を延ばす価値があります。
この神殿は、古典期に建てられたアクロポリスの丘のパルテノン神殿やアゴラの丘のヘファイストス神殿より少し後、ヘレニズム時代の建築物です。

この場所でのゼウス神崇拝はもっと古い時代にさかのぼります。紀元前6世紀前半には既に神殿があったのは確実ですが、その神殿の下にも建築物の跡が見つかっており、さらに以前にも神殿があったのかもしれません。

巨大神殿の建築を始めたのは、紀元前6世紀の後半にアテネを支配した僭主(せんしゅ)ペイシストラトス一族ですが、やがて僭主政が崩壊すると建築は中断してしまいました。建築を再開したのは紀元前2世紀、セレウコス朝シリア王国のアンティオコス四世エピファネス。彼の時代に神殿のほとんどはできていたと考えられています。しかし実際に完成させたのは、ローマ五賢帝の一人ハドリアヌスでした(131年)。

神殿は、円柱の上が葉のようになっているコリント式。基台部分の大きさは幅44m、奥行き110m。神殿の最も高い部分は、27.4mありました。前から見た時には円柱8本、横から見た時には円柱が20本立っており、内側に並んでいたものの数も合わせると合計104本にもなります。今も残っている柱はそのうち16本だけです。円柱の高さは17m。アクロポリスの丘に建つパルテノン神殿の円柱が10.4mであることを考えると、ゼウス神殿がいかに大きかったかが分かります。

神殿の北西側(アマリアス大通側)に、一見して古代の物と分かる門が建っていますが、これはハドリアヌスのアーチと呼ばれる遺跡です。このアーチが壁の一部だった形跡はないので、その役割は象徴的なものだったようです。ハドリアヌス帝は、ゼウス神殿を完成させただけではなく、アテネの町の南東側(アーチの神殿側)を整備したので、この門をゼウスの聖域と自分が造った町への入口としたかったのでしょう。

ゼウス神殿の基本情報

  • クリップボードにURLコピーしました。

ヘファイストス神殿

冶金や鍛冶、陶芸など、火を操る職人の聖地

古代アゴラの遺跡に入って右手奥、北西の角に建つ白亜の神殿。鍛冶の神ヘファイストスを奉じた神殿ですが、神殿内部にはヘファイストスの隣にアテーナーのブロンズ像も飾られていたこ
とが分かっています。 他のオリュンポスの神々に比べ、足に障害があり、外見も見劣りするヘファイストスですが、都市国家のアテナイでヘファイストス信仰が盛んだったのは、ひと
続きを読む
古代アゴラの遺跡に入って右手奥、北西の角に建つ白亜の神殿。鍛冶の神ヘファイストスを奉じた神殿ですが、神殿内部にはヘファイストスの隣にアテーナーのブロンズ像も飾られていたことが分かっています。

他のオリュンポスの神々に比べ、足に障害があり、外見も見劣りするヘファイストスですが、都市国家のアテナイでヘファイストス信仰が盛んだったのは、ひとつにはヘファイストスが女神アテーナーの助産師だったこと。パルテノン神殿の切妻には、ヘファイストスが特製の斧でゼウスの頭を割って、アテーナーが誕生する様子が描かれていました。

もうひとつは、スニオン岬に近いローリオン鉱山で銀鉱が見つかり、これが都市国家アテナイの躍進に大きく貢献したこと。冶金や銀細工は重要な収益源となりました。

一方、女神アテーナーは陶芸や職人の守護神でもあり、神殿の周辺には鍛冶屋や陶器の店がひしめき合っていました。また5年に一度開催されたハルキア祭では、鍛冶職人たちは工具を携えて通りを練り歩いていたのだとか。

神殿の建設は紀元前460年から420年の間に行われたと考えられています。完成したヘファイストス神殿は前面6柱、横13柱とやや小ぶりながら、現存するドーリア式の神殿では最も保存状態が良く、間近に寄って触れることもできるので、神話・遺跡ファンは必見です。

7世紀以降は、聖ヨルゴス教会として使われていました。
ヘファイストス神殿の見学料は、古代アゴラの入場料に含まれています。

ヘファイストス神殿の基本情報

  • クリップボードにURLコピーしました。

アッタロスの柱廊

紀元前の柱廊を現代に蘇らせた古代アゴラの博物館

小アジア・ペルガモンの国王アッタロス2世が、アテナイで学問を授かった謝礼として贈ったもので、紀元前2世紀に完成。1階部分に21の店舗を収容していました。 建物の1階部分
は、外側の柱廊がドーリア式、内側の柱廊はイオニア式、2階部分は外側がイオニア式、内側はペルガモン式という凝った建築様式が使われています。 267年に侵入したヘルーア人
続きを読む
小アジア・ペルガモンの国王アッタロス2世が、アテナイで学問を授かった謝礼として贈ったもので、紀元前2世紀に完成。1階部分に21の店舗を収容していました。
建物の1階部分は、外側の柱廊がドーリア式、内側の柱廊はイオニア式、2階部分は外側がイオニア式、内側はペルガモン式という凝った建築様式が使われています。

267年に侵入したヘルーア人によって破壊され、廃墟の一部は城塞の外壁として利用されていました。

現在の柱廊は、古代アゴラの出土品を収蔵・展示する博物館として米ロックフェラー財団が資金を提供し1953~1956年に再建されたものです。限られた考古学的知識に基づいて古代の建築を忠実に再現したという点で、特筆すべきレプリカです。

博物館の展示品は、1階が新石器時代からヘレニズム期までの出土品、2階はローマ時代の肖像が中心で、小品ながらなかなかの粒ぞろい。

勝利の女神ニーケー彫刻(紀元前4世紀)やニーケーの頭部(2世紀ごろのレプリカ)、女神アフロディーテ像(紀元前4世紀)のほか、アテネではあまりお目にかかれない死の女神ヘカテーの三面像やサテュロス像に出会えるのも魅力です。

アッタロスの柱廊の見学料は、古代アゴラの入場料に含まれます。
フラッシュを焚かなければ、館内写真撮影可。

アッタロスの柱廊の基本情報

  • クリップボードにURLコピーしました。

シンタグマ広場

近現代アテネの政治的中心

アテネを訪れる旅行者のほとんどはこの広場を通るはずです。市内観光のバスは必ずここを通ります。空港バスはここから発着しますし、空港からのメトロもここに停車します。また、シン
タグマ周辺にはホテルや博物館も多いですから、ここを起点に観光される方も多いでしょう。 広場に降り立つとまず目に入るのが国会議事堂。もともとは19世紀に王宮として建てられま
続きを読む
アテネを訪れる旅行者のほとんどはこの広場を通るはずです。市内観光のバスは必ずここを通ります。空港バスはここから発着しますし、空港からのメトロもここに停車します。また、シンタグマ周辺にはホテルや博物館も多いですから、ここを起点に観光される方も多いでしょう。
広場に降り立つとまず目に入るのが国会議事堂。もともとは19世紀に王宮として建てられました。近代建築に古代ギリシャの建築エレメントを取り入れた「ネオ・クラッシック」様式の傑作のひとつです。

議会の正面には「無名戦士の墓」というモニュメントがあり、その前では伝統衣装に身を包んだ兵士が直立不動で警備をしています。1時間ごとに衛兵交代があるので、その時間を狙って見に来るといいでしょう。「墓」に近づくことは禁じられていますが、衛兵さんの近くで写真を撮るのはOKです。

ところで、「シンタグマ」というのは現代ギリシャ語で「憲法」という意味です。この名前の由来は、1843年、王に憲法制定を求める国民がここに集い、「シンタグマ、シンタグマ!」と叫んだからだといわれます。その時代以来、シンタグマ広場は、不満を持つ人々がさまざまな要求を掲げてデモをする場所でもあります。その様子をテレビ・ニュースで見たことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

さて、広場の北側にひときわ目につく大きな建物があります。これは、アテネ一の高級ホテル「グランデ ブレターニュ」。もともとは、ある富豪の住宅として19世紀半ばに建てられましたが、今ではホテルになっています。最上階はテラス・レストランになっていて、眺めを楽しみながら食事ができますし、バーだけの利用も可能です。

シンタグマ広場の基本情報

  • クリップボードにURLコピーしました。

アレオパゴスの丘

天界と冥界の神々が見守る裁きの丘

アクロポリス見学を終えて丘を右側に下った先に、アレオパゴスの丘があります。 アレオパゴスとは「アレスの丘」という意味で、軍神アレスが殺人のかどによりこの丘で裁かれたとい
う神話に由来します。丘の麓には復讐の3女神(エリニュス)の神殿があり、殺人、神聖冒とく、放火などの重罪人を裁くためのアレオパゴス会議が開かれていました。 北側の斜面は
続きを読む
アクロポリス見学を終えて丘を右側に下った先に、アレオパゴスの丘があります。
アレオパゴスとは「アレスの丘」という意味で、軍神アレスが殺人のかどによりこの丘で裁かれたという神話に由来します。丘の麓には復讐の3女神(エリニュス)の神殿があり、殺人、神聖冒とく、放火などの重罪人を裁くためのアレオパゴス会議が開かれていました。

北側の斜面は、ミケーネ時代から幾何学様式時代、つまり紀元前1600〜700年にかけて墓地として使用されていました。また、アクロポリスのプロピュライアからも画像のように見下ろすことができ、天界、冥界の神々が見守るなかで、厳正な処罰が行われていた場所です。

高さ115mほどの低い丘で、正面に二十数段の石段、向かって左側には手すりの付いた鉄製の階段が用意されています。アクロポリスのプロピュライアを見上げ、古代アゴラの遺跡やアテネ市街を見下ろす眺望はすばらしく、岩に腰かけて古代の歴史を肌で感じることもできます。

アクロポリス同様、岩が磨かれてツルツルのため、足元には充分注意してください。

最寄駅からのアクセスは、地下鉄モナスティラキ駅、アクロポリス駅ともに遠く、いずれも20分ほどかかります。あくまで、アクロポリスと古代アゴラ観光の中継地点ですね。入場料は無料。

アレオパゴスの丘の基本情報

  • クリップボードにURLコピーしました。

ディオニューソス劇場

ギリシャ悲劇発祥の地と洞窟の聖母

イロドスアティコス音楽堂と並んでアクロポリスの南壁に位置する古代シアター。入口は、ディオニシウパギトゥ遊歩道から少し奥まったところにあり、やや分かりづらいかもしれません。
ギリシャといえば、何と言っても悲劇。もともとは酒の神ディオニソスに捧げる賛歌から発達したものですが、アイスキュロス(オレスティア三部作)やソフォクレス(「エレクトラ
続きを読む
イロドスアティコス音楽堂と並んでアクロポリスの南壁に位置する古代シアター。入口は、ディオニシウパギトゥ遊歩道から少し奥まったところにあり、やや分かりづらいかもしれません。

ギリシャといえば、何と言っても悲劇。もともとは酒の神ディオニソスに捧げる賛歌から発達したものですが、アイスキュロス(オレスティア三部作)やソフォクレス(「エレクトラ」、「オイディプス王」)、エウリピデス(「王女メディア」)といった巨匠たちが、このディオニソス劇場で悲惨な物語の上演を競い合いました。

紀元前4世紀に改築され、ローマ時代には17,000名の観客を収容。剣闘も行われていたようですが、現在はその一部を残すのみとなっています。

その劇場を見下ろすアクロポリスの側壁に、アルテミスの聖なる洞窟があることはあまり知られていません。アルテミスはアポロンの双子の姉で、狩猟と貞淑、そして出産の守護神です。

ビザンチン時代は“パナギア・イ・スピリオテッサ”(洞窟の聖母)と呼ばれ、教会の礼拝所として母親たちが病気の子供を連れて訪れていました。やはり、アルテミスの聖地なんですね。残念ながら、この洞窟は長年修復作業が続けられていて、現在は中に入ることができません。

なお、ディオニューソス劇場を登ったところに細い通路があり、ここから直接アクロポリスへ行くこともできます。

アクロポリス内につき、ディオニューソス劇場の入場料はアクロポリスの入場料(20ユーロ)に含まれます。アクロポリス周辺の遺跡を回れる遺跡共通入場券(30ユーロ)もあります。また、アクロポリスへの入場は事前に日時指定が必要。

なお、3月6日、4月18日、5月18日、9月最後の週末、10月28日は入場無料です。

ディオニューソス劇場の基本情報

  • クリップボードにURLコピーしました。

パナティナイコ競技場

第1回近代オリンピックの舞台

パナテナイコ競技場は、第1回近代オリンピックのために、古代にここにあった競技場を再現する形で建てられました。 古代のスタジアムは、紀元前4世紀、大パナテアイア祭のために
建てられたものと考えられています。大パナテナイア祭は、アテネの守護神であるアテナ女神に捧げられた祭りです。古代のオリンピックは、ペロポネソス半島西部のオリンピアで開催されて
続きを読む
パナテナイコ競技場は、第1回近代オリンピックのために、古代にここにあった競技場を再現する形で建てられました。
古代のスタジアムは、紀元前4世紀、大パナテアイア祭のために建てられたものと考えられています。大パナテナイア祭は、アテネの守護神であるアテナ女神に捧げられた祭りです。古代のオリンピックは、ペロポネソス半島西部のオリンピアで開催されていましたので、このスタジアムとは関係ありません。

古いスタジアムは、アルディトスの丘(競技場に向かって右にある丘)の斜面を利用して造られた、比較的質素なものだったようですが、紀元2世紀の大富豪ヘロデス・アティコス(アクロポリスの丘の南側に音楽堂を造ったのと同じ人物)は、大理石をふんだんに使って立派な建造物に改修しました。

ビザンチン時代、オスマン帝国時代、大理石は他の建造物に使うために持ち去られ、スタジアムは荒廃しました。

再び注目が集まるのは、ギリシャ独立後、19世紀の後半になってからです。アテネのネオ・クラッシック建築時代を代表する建築家の一人であるエルンスト・ツィラーが発掘し、大富豪ゲオルギオス・アヴェロフらが資金を提供して、古代の栄光をそのままに再建させます。現代の陸上競技場が通常、長円形をしているのに対し、パナテナイコ・スタジアムは馬蹄形をしていますが、これは2世紀の競技場の形を復元したからです。ここで、第1回近代オリンピックが開催されたのは1896年のことでした。スタジアムに向かって右側に立つアヴェロフの大理石像は、彼の死後に国が彼の貢献を記念して造らせたものです。

競技場の部分は奥行204m、幅33mあり、座席の収容人数は68,000人という、巨大な競技場です。現在では運動競技に使われるほか(アテネ・マラソンはここがゴールです)、コンサートが行われることもあります。

パナティナイコ競技場の基本情報

  • クリップボードにURLコピーしました。

プラカ地区

古いアテネの町並みとお土産ショッピング

プラカ地区というのは、アクロポリスの丘の北東側から、おおよそシンタグマ広場とモナスティラキ広場までの一帯で、現代のアテネが再開発される前の古い町の面影を残しています。その
ため、この地区には建築規制が設けられ、その歴史的な景観が変わらないように配慮されています。 プラカは区画整理がなされていないので、迷路のような細い道に迷い込みながら散策す
続きを読む
プラカ地区というのは、アクロポリスの丘の北東側から、おおよそシンタグマ広場とモナスティラキ広場までの一帯で、現代のアテネが再開発される前の古い町の面影を残しています。そのため、この地区には建築規制が設けられ、その歴史的な景観が変わらないように配慮されています。
プラカは区画整理がなされていないので、迷路のような細い道に迷い込みながら散策するのが楽しみ方のひとつです。歩き回るときには、ネオ・クラッシック様式の建築物やビザンチン時代の小さな教会に注目してください。

また、アクロポリス北側の丘を登っていくと、細い道の奥に「アナフィオティカ」と呼ばれる地区があります。これは、19世紀にキクラデス諸島にある小島アナフィから移住した人たちが住み着いた地区で、アテネの真ん中にありながら、まるでキクラデス諸島の村に迷い込んだかのような、白く塗られた小道や、小さな一戸建ての家屋からなる町並みが見られます。

お土産物屋さんやタベルナ(小さなレストラン)はアドリアヌー通り、キダシネオン通り、ムネシクレウス通り、パンドロスー通りに並んでいます。アテネの商店は通常、日曜日は閉まっていますが、プラカにあるお店は日曜・祭日の営業を許されているので、たまたまアテネの滞在が日曜しかない方でも、ここでならお買い物ができます。また、観光客にはプラカで食事をする人が多いですが、観光客の多い地域にありがちなように、当たり外れがありますので下調べは重要です。

プラカには見どころもいくつかあります。例えば、アドリアヌー通り南端近くにあるリュシクラテス記念碑、大聖堂広場に建つ旧ミトロポリス教会、アクロポリス丘北側のローマ時代のアゴラと風の塔、モナスティラキ広場に面したハドリアヌスの図書館、そしてギリシャ郷土芸術博物館になっているツィスタラキス・モスクです。

そのほかプラカには、特徴あるマイクロミュージアムが点在。民族楽器博物館、民芸博物館、フリシラス美術館など。散策の際に立ち寄るのもいいかもしれません。

プラカ地区の基本情報

  • クリップボードにURLコピーしました。

人気の観光スポット・名所がいっぱいのアテネ。トラベルコがまとめるアテネの観光情報をお届けしました。次の旅行の参考に、充実した旅の思い出を作ってくださいね。

ギリシャの関連記事をチェック!

トラベルコでアテネ旅行の最安値を探そう

※当記事の内容は調査日時点の情報であり、情報は随時変更される可能性があります。当サイトに掲載している情報の正確性については万全を期しておりますが、その内容について保証をするものではありません。最新情報は必ず各公式サイトなどでご確認ください