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アテネ (ギリシャ) 観光の現地クチコミ

現地のプロ(4人)詳細

長田 幸廣 (翻訳家、マーケットリサーチャー)

パルテノンを凌ぐ壮大な神殿

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地下鉄アクロポリ駅からアクロポリスとは反対方向へ向かって歩くと、シングルー大通りを挟んでゼウス神殿に突き当たります。ここまでは歩いて3分ほどですが、残念ながら入口は反対側にあり、ぐるりと半周しなければなりません。左手にハドリアヌスの凱旋門が見えるので、そちらへ向かって歩いてください。

ハドリアヌスの凱旋門は、アテナイの公共建造物の修復に力を注いだローマ皇帝ハドリアヌスを称えて2世紀ごろに建設されたものです。門をくぐったところに鉄柵があり、その隙間から彼方にたたずむゼウス神殿を望むことができます。

でも、これは予告編。本編が見たければ、頑張ってあと半周歩いてね、ということです。振り返ると凱旋門のアーチの向こうにアクロポリスが見え、ほとんどの人がこの写真を撮ります(笑)

ゼウス神殿は、そのサイズではパルテノンをも凌ぐギリシャ最大の神殿です。紀元前6世紀に着工しましたが、完成はそれから650年後、前出のハドリアヌスの手によってもたらされました。似て非なる両国の国民性がなんとなく垣間見えて面白いですね。

縦40 m、横96 mの敷地には、高さ17 mのコリント式円柱が104本並んでいましたが、現在は15本を残すのみ。それでも、当時の神殿の壮大さをうかがい知ることができます。

神殿の周囲は広々としていて、彼方にアクロポリスが望め、絶好の撮影スポットになっています。

ギリシャに残る最大の神殿

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アテネの古代遺跡の中では知名度がいま一つではありますが、これはギリシャに残る最大の神殿跡。迫力満点なので、足を延ばす価値があります。

この神殿は、古典期に建てられたアクロポリスの丘のパルテノン神殿やアゴラの丘のヘファイストス神殿より少し後、ヘレニズム時代の建築物です。

この場所でのゼウス神崇拝はもっと古い時代に遡ります。紀元前六世紀前半には既に神殿があったのは確実ですが、その神殿の下にも建築物の跡が見つかっており、さらに以前にも神殿があったのかもしれません。

巨大神殿の建築を始めたのは、紀元前六世紀の後半にアテネを支配した僭主ペイシストラトス一族ですが、前510(508?)年に僭主政が崩壊すると、建築は中断してしまいました。建築を再開したのは、紀元前二世紀、セレウコス朝シリア王国のアンティオコス四世エピファネス。彼の時代に神殿のほとんどはできていたと考えられています。しかし、実際に完成させたのは、ローマ五賢帝の一人ハドリアヌスでした(131年)。

神殿は、円柱の上が葉のようになっているコリント式。基台部分の大きさは幅44メートル、奥行き110メートル。神殿の一番高い部分は、27.4メートルありました。前から見た時には円柱8本、横から見た時には円柱が20本立っており、内側に並んでいたものの数も合わせると合計104本にもなります。今も残っている柱はそのうち16本だけです。円柱の高さは17メートル。アクロポリスの丘に建つパルテノン神殿の円柱が10.4メートルであることを考えると、ゼウス神殿がいかに大きかったかが分かります。

神殿の北西側(アマリアス大通側)に、一見して古代の物と分かる門が立っていますが、これはハドリアヌスのアーチと呼ばれる遺跡です。このアーチが壁の一部だった形跡はないので、その役割は象徴的なものだったようです。ハドリアヌス帝は、ゼウス神殿を完成させただけではなく、アテネの町の南東側(アーチの神殿側)を整備したので、この門をゼウスの聖域と自分が造った町への入り口としたかったのでしょう。

  • 上記の記事は、訪問時点の情報を元に作成しています。訪問先の都合や現地事情により、最新の情報とは異なる可能性がありますのでご了承ください。