1905年1月、ロシア軍が降伏して停戦条約が締結された後、乃木将軍とステッセル将軍が会見した場所が水師営会見所です。水師営とは日露戦争の激戦地となった旅順の北側にある村の名。「えっ、ここが!」と思えるほど小さな小屋で、もとは農家だった家が戦闘中に日本軍の診療所として使われていました。
内部には会見のテーブルとなった診療台が残っています。日本側の控え室になった部屋にはパネルが展示されていて、中国語と英語の説明があります。当時の様子がわかる貴重な写真です。門を入って敷地内の左側には、ステッセル将軍が乃木将軍にアラブ産の白馬を贈った場所とされるナツメの木があり、その写真も飾られています。当時のナツメの木は樹齢100年以上といわれる大木で、無数の弾痕があったそうです。
現在は周囲をビルに囲まれた小さな小屋ですが、旅順開城が決定した歴史的な会見所です。大連からは車で約1時間30分ほど。入場料は40元。当時の様子を偲ばれる旅順のほかのスポットとともにめぐるのがオススメです。
Navy Camp Meets Site 水師営会見所 シュェイシーインホェイジェンスオ
日露戦争終結の舞台になった小屋
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日露戦争の停戦条約が結ばれた場所
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- 更新日2024/05/07
水師営会見所は、1905年1月15日、日露戦争の停戦条約が締結された歴史的な場所です。小さな小屋の中に、応接テーブルセットと、当時の会見の様子を撮影した写真が何枚か飾られています。
会見所といっても本当の姿は普通の民家。両軍の激しい戦いで、家屋はほとんど壊れてしまい、第三軍司令官乃木希典大将、旅順要塞司令官アナトーリイ・ステッセル中将ら幹部が会見できる場所がここしかなかったと言われています。
歴史好きの日本人にとって水師営会見所は外せない場所ですが、実はここは昔の写真を元に1996年に復元された建物です。以前、車をチャーターして旅順を巡ったときには、中国人の運転手さんに「あれは偽物だ」「あんなもの見てどうなる」と訪問を散々反対されました。
入場料は40元と決して安くはなく、周辺はマンションの多い住宅地でこれといった風情もないので、行くかどうかは個人の判断で、というところでしょうか。
旅順の観光地は国営企業が一括管理しているのですが、水師営会見所は別の民間会社が運営しており、現地では歴史的な価値を疑う声が多く、ツアーなどでは外されることも増えているようです。
ただし、敷地内にある海鮮レストランは日本人好みのおいしさと評判で、大連在住の日本人が日本からの旅行者をアテンドする際は、ここが本物でないと承知で昼食も兼ねて訪れることが多い場所です。
旅順は広い範囲に観光スポットが点在しているので、ツアーで行くか車をチャーターすることをお勧めします。
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ジャンル文化財・歴史的建造物
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エリア大連その他
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住所
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アクセス旅順駅(旅順汽車站)から車で約15分
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電話番号+86-411-86233509
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