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ユーラシアの旅ブログinトラベルコちゃん

~世界130ヶ国を舞台に活躍するユーラシア旅行社添乗員の生の声をブログでお届け! ※毎週火曜・木曜更新!各記事は当社サイト内の7つのブログから転載しております。~

株式会社ユーラシア旅行社
ユーラシア旅行社は世界130ヶ国を舞台に、遺跡、自然、伝統文化、芸術などさまざまなテーマで、お客様の知的好奇心を満たす旅を提案しています。
プロフィール

ニックネーム:
ユーラシア旅行社
居住地:
東京都
会社名:
株式会社ユーラシア旅行社
会社英字名:
Eurasia Travel Co.,Ltd,
会社所在地:
東京都
会社電話番号:
03-3265-1691
業種:
旅行業
自己紹介:
世界130ヶ国を舞台にテーマ性の深いツアーに添乗するユーラシア旅行社の添乗員のブログから抜粋した記事を毎週火曜・木曜更新!

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パナマ運河通過
パナマ運河〜大陸を切り裂き大海を繋いだ運河〜
エリア:
  • 中南米>パナマ>パナマシティ
テーマ:観光地 クルーズ 歴史・文化・芸術 
投稿日:2010/12/10 16:27
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アメリカ大陸は昔一つだったのをご存知ですか?

19-20世紀初頭、世界の移動は大型船が主流だった頃、ヨーロッパからアジアへ向かうには南北アメリカ大陸をぐるりと回らなければなりませんでした。

19世紀末にスエズ運河設計で有名なレセップスがフランス主導の下の運河建設を断念し、いろいろな経緯のなかでコロンビアからパナマ共和国が独立し、結局アメリカ主導で造られたパナマ運河は、船旅の移動日数をあっという間に短縮させました。

この工事には、明治時代であったにもかかわらず、日本人技師が1人参加していました。

さらに今でも船を牽引する電気機関車は日本の東洋電機製造製だといいますから、パナマ運河は日本と割りと深い関わりがあると思いませんか?


さて、そのパナマ運河には3つの閘門があります。

これは大西洋と太平洋の海の表面の高さが異なるため、大陸を横断中にそれを調整しようという、すごいことを行っているわけでして、この一日に及ぶ通過の行程こそが、パナマ運河クルーズ最大の見せ場なのです。
年に1万隻近い客船が通過するというのですから、その人気っぷりは一目瞭然です。

そして一番興奮するのが、パナマックスと呼ばれる、船体が運河通過ぎりぎりの幅の大型客船の通過なのです。乗客はデッキにでて、自分達の客船がどんな風に通過していくのかじっくりと楽しむことが出来ます。

一日という行程なので、自室のバルコニー(付を選んだ場合)から見たり、デッキに出たりと、いろんなところで楽しめます。もちろん、大抵の人がカメラを持参していますが、もう何回も訪れている乗客はのんびりと、今回の行程を楽しんでいました。

運河の入り口のアメリカ大陸橋を抜けて、ミラフロレス閘門、ペドロ・ミゲル閘門を通過しました。この二つの閘門によって、高さの違う海の横断が可能なのです。閘門へ入ると、門が閉ざされ、勢いよく水が注がれます。船はゆっくりと上昇していきます。さながらエレベーターのように。デッキから見える景色がゆっくりと上昇し、やがて水が門を一杯にしてゆっくりと開きます。
観客からは大きな歓声が上がります。


最後のガトゥン閘門を抜けると、おお、大陸を横断した!という感動、充足感、で誰もが興奮した瞬間!と、同時にこれで終わったのかという寂寥感が胸に広がりました。しかしながら、目の前に広がる海を見ていると、再び高揚感が生まれてくるのです。

なぜなら同じに見えるのに昨日とは高さも名前も違う海にいるのだと、本当に実感できるからです。

恐らく100年前、ここを通過した人の感動は一入だったであろうと思います。
より多くの可能性を求めて、大陸を二つに分けた人々の大いなる夢とその偉業に思いを馳せながら次の目的地へ船は出港するのです。


アメリカ大陸橋へ
船内で。意外に人気のパターゴルフ
デッキで寛ぐ最高に贅沢な時間

風の宮殿
マハラジャとピンクの街
エリア:
  • アジア>インド>ジャイプール
テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2010/12/10 10:46
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インドの北西にはラジャスタン州があります。

州都はジャイプールです。
この街は旧市街へ入る入り口のかつての城門からピンク色で、とても華やかな雰囲気です。

華やかな街はピンクシティーと称され、インド観光地のゴールデントライアングルと呼ばれる一大観光地です。

ここの観光の目玉としてご覧頂きたいのは、風の宮殿、シティ・パレス、ジャンタル・マンタル、近郊のお城アンベール城などです。

これらは全部、この地の統治者だった藩王国の王「マハラジャ」によって代々受け継がれてきたものです。

皆様は「マハラジャ」をご存知ですか?「偉大な王」という意味です。
第二次大戦前、インドには沢山の藩王国が存在し、彼らの「国土」は英国統治下の時代であっても、基本的には「自分たちの領土の統治権」を有していたわけです。
例えばジャンタル・マンタルというのは天文台ですが、当時の最新学問を駆使してつくった天文台の、その正確さには驚かれます。
そして、こうした「時を支配する」物をこんなに大きく造り上げられるなんて、しっかりとした権力が安定していたからなのでしょうか。

第二次大戦後、インドから英国が去り、インドは共和国になることになったと同時に、藩王国は消滅することとなり、実質、今はマハラジャは一市民です。
この街に初めて訪れたときに、シティ・パレスの売店だったと思いますが、最後のマハラジャ、マン・シン2世の第3妃(マハラニ)ガーヤトリー・デヴィが残した回想録が売っておりまして、表紙の女性が綺麗でしたので、つつっと購入してしまいました。

残念ながら英語のため、流し読みしか出来ず、とても熟読とはいえません。しかしながら、第二次大戦前と後では彼女の生活が180度変わってしまったことはよくわかりました。

長く英国に統治されてきたため、自分たち主導の政治の理想と現実の差にインドはとても大変でした。
おりしも印パ戦争が起きて、北インドの西と東の国境はパキスタンへ逃れるムスリムと新しいインドへ逃れるパキスタン側のヒンドゥーの難民の相互流入によって大変なことになりました。

ジャイプールは、インドの西側に位置します。
ジャイプールはとても大変でした。
元々、16世紀、このそばには「タージ・マハル」で有名なムガル帝国があり、この巨大な権力に飲み込まれないように、ジャイプールの代々のマハラジャは彼らに恭順を示し、イスラム文化も多く受け入れてきました。
そのため、街の雰囲気はイスラムチックなヒンドゥー文化であり、とてもエキゾチックで華やかです。

そうした歴史背景があるため、最後のマハラジャとマハラニ、マン・シン2世とガーヤトリーは、インドが独立するとたんにパキスタンが生まれ、宗教が異なるもの同士がいがみ合う姿にとても歯がゆい思いがあったようです。

王族から一般市民へ。
彼らには「統治」する権利がなくなってしまったのでした。

しかし共和国政府は誕生したばかり。何もかもが理想どおり行きません。
華やかなジャイプールのシティ・パレスで、二人は苦悩したのでしょう。
選挙が行われる、となると同じような立場の王族同士で協力し立候補して、「無党派」として政府に物申したのです。

インドがひとまず落ち着く頃、自分たちの宮殿をホテルにしたり博物館にして観光客に開放しました。ジャイプールは観光客が多く訪れる街として画期がみなぎり、今に至るわけです。

彼らは「王族」ではなくなりましたが、今でも市民に「マハラジャ」として慕われ、ジャイプールに住んでいます。
昨年、マハラニ・ガーヤトリー・デヴィは90歳で亡くなりました。
ロンドンで入院したそうですが、ジャイプールへ戻りたいと、戻ってきてなくなったそうです。

華やかなピンク色の街並み。
華やかなマハラジャ達の生活。
それらが今に伝わるのは、街を、市民を愛し、最後まで責任を持ったマハラジャとそのマハラジャへの尊敬の念を失わなかった市民のおかげなのかも知れません。


華やかなインド女性の服装

タージマハル
タージマハル 〜インドで一番輝く建造物〜
エリア:
  • アジア>インド>アグラ
テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2010/11/25 22:12
コメント(0)
10月〜3月の北インドは、乾期でありましてかなり過ごしやすくなります。
というわけで、今回ご紹介するのはインドです。
インドの三大都市の一つムンバイは海のシルクロードの重要な中継貿易港でした。そしてガンジス川が流れる聖地ベナレスや、北インド一番の見所のゴールデントライアングルと呼ばれる、デリー・ジャイプール・アグラをぐるりと回ってみるのも楽しいです。
そんな北インドでいまでも印象深いのは、アグラのタージマハルではないでしょうか。

「白亜の宮殿」

そんな風に称するのが相応しい、優雅で巨大な建築物ですが、実は霊廟、つまりお墓なわけです。
その昔、この地方がムガル帝国と呼ばれ、イスラム教の君主が支配していた頃、シャー・ジャハーンという皇帝がいたわけです。この方のお后様がムムターズ・マハルといいまして、子供も沢山生んでくれたのです。結果、産褥熱で38歳のときにお亡くなりになりましたが、17歳で皇子に嫁いでからなくなるまで14人くらいの子供を生んだわけですから、皇帝との仲は良かったのでしょうね。
皇帝は、即位するまで紆余曲折で結構大変だった方でしたが、その横にずっといたのが第一后のムムターズ・マハルなわけです。強い信頼関係があったのかもしれません。

さて、そんな彼女が亡くなったあと、皇帝の悲しみは大変深かったそうです。彼は2年近くも宴をしなかったともいわれています。そうして長い長い年月をかけて、彼はムムターズ・マハルの霊廟を造り上げたのでした。皇帝の愛情が造り上げたとも言われますが、どちらかというと、皇帝の権力の強さをムガル帝国の技術の素晴らしさを内外に指し示したかったともいわれています。
これは私の私見ですが、シャー・ジャハーンとムムターズ・マハルは愛情以上に強い絆で結ばれていたと思います。ムガル帝国を治めてゆくために、皇帝はこの后と互いを支えあってきたのではないかと思うのです。先に亡くなってしまった彼女と皇帝の威光をこのような形で示したいくつもの事情や仮説の一つにムムターズ・マハルへの「感謝」や彼女の名前を後世に残してやりたいという思いがあったのではないかな・・・と。あくまでも私見でございます。
まぁ・・・皇帝の思惑はどのようなものであれ、この霊廟は数百年経った今でもその美しさを留めています。
前庭、並木通り、下の水面が遠近感を際立たせ、建物をあらゆる角度から眺めてみるとその柔らかな質感と立体感を実感できます。ムガル帝国の5代目の皇帝シャー・ジャハーンが最愛の妻のため造った霊廟として、今では世界中から多くの観光客が訪れ、多くの女性がムムターズ・マハルを羨み、シャー・ジャハーンのかっこ良さに心を掴まれてしまっています。お世辞にも幸せとは言いにくい晩年でしたが、数百年経った今も輝くタージマハルがある限り、彼らは永遠の存在になったといえるのではないでしょうか。

船内
クルーズの楽しみ方〜パナマ運河クルーズの終日航海日〜
エリア:
  • 中南米>パナマ
  • 中南米>コロンビア>カルタヘナ
テーマ:クルーズ その他 
投稿日:2010/11/18 17:21
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パナマ運河横断クルーズの長い航行の間、結構、気になるのが船内生活についてお話します。船の旅というと、時間をもてあましそう。と感じる方が多いと思います。ところが!実際は毎日が忙しいのです。


例えば14泊15日の船の旅のうち、終日航海日は7日間あるとします。終日航海日の間は船からは下りることができませんが、船の上は遊びの宝庫です。長さが300m近い、全部で10階建て以上の大型客船。運動でも遊びでも、まさに自由に自分の使いたいように時間が使える場所、それが船の旅です。


終日航海日の1日をご紹介します。朝はまず、フィットネスクラブで一日を始めます。インストラクターの指導のもと、30分ほどの軽いストレッチのあと、甲板をウォーキング。大海原を目の前に歩くのはなかなか気持ちのいいものです。青い海をじっと見つめていると時々いるかが飛び跳ねるのも見えました。3匹ぐらいのいるかが船と遊んでいるように一緒に泳いでいます。ウォーキングが趣味の方は、絶対試してみてください。海の表情がいかに豊かかをご理解いただけると思います。

そして、運動のあとの食事は格別です。展望カフェで海を眺めながら朝食を食べます。そうこうしているうちに様々なアクティビティーが始まります。

例えば午前中はダンスクラス。ラインダンスのクラスでは指導のお兄さんが前に立ってステップを一つずつ丁寧に教えてくれます。英語がわからなくても大丈夫。見よう見まねでついていけます。一つ一つステップを覚えたあとは音楽に合わせて練習します。上手下手は関係なく、様々な国籍の様々な年代の人が一緒に踊りました。午前中のアクティビティーはまだまだ終わりません。アトリウムに行ってみると、そこではケーキデコレーションのデモンストレーションをやっていました。船長(なかなかのコメディアン)とホテルマネージャーがコックさんにデコレーションを教わるのですが、二人ともクリームやレーズンの飛ばしあいで大忙し。見ているだけでおもしろいデモンストレーションでした。


午後はバックステージツアーへ行きました。大型客船には大きな劇場がついています。毎日夜には代わる代わるショーが繰り広げられますが、このバックステージツアーではその舞台裏を見せてもらえます。衣裳部屋を見たり、音響や照明の部屋、舞台上では幕や緞帳の上げ下ろしの仕組みなども教えてもらいました。今私達は海の上にいるのだということを忘れてしまいそうなぐらい立派な劇場でした。

その次に、クイズ大会へ。
ヨーロッパで一番長い川は?
100万人都市が11個以上ある大陸は?
など、色々なクイズに答え、その正答率を競います。グループ対抗なので皆で知識を寄せ合って回答します。アメリカ人の知らないことを意外と私達のほうが知っていることもあり、対等に競えました。

夕食のあとは毎日代わる代わる様々なショーが上演されます。有名な歌手やバイオリニストが演奏をすることも。勿論船のダンサーやオーケストラの華やかなダンスショーもあります。


船の上には図書館やプールやスパもあります。ゆっくり読書をしたり、プールサイドで日光浴をしたり、スパでマッサージを受けたり。時間がもったいない!と思ってついついあれこれアクティビティーに参加してしまいがちですが、のんびり時間を過ごすのもまた一興です。船の上では「やらなければならないこと」がないので、本当に24時間、自分の好きなように時間が使えます。こんな幸せ、他ではなかなか味わえません。クルーズのツアーは陸のツアーとは一味違う楽しみ方のできるツアーです。

(アクティビティやツアーは船やツアーごとに変わりますので、記事のアクティビティやツアーが必ずご覧いただけるとは限りません)


船内
船内イベント

メロエ
スーダンの魅力
エリア:
  • アフリカ>スーダン>スーダンその他の都市
テーマ:観光地 歴史・文化・芸術 自然・植物 
投稿日:2010/11/15 13:36
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アフリカ一国土の広いスーダンの想い出です。

4WDに乗り、道なき道を行き過ごしたハプニングと感動の5日間の印象に残ったエピソードをご案内します。

一つ目はスーダンの人々についてです。彼らはとても正直で、その正直さゆえに、例えば私とガイドさんは意見がかみ合わないこともしばしばで、毎日話し合いを重ね、旅の終わり頃にようやく上手なコンビネーションが取れるようになりました。

クッル遺跡という、壁画が美しい色彩を残す、クシュ王国時代の王のお墓見学へ行く途中に私はなんと、ポケットに何気なく入れていた5ユーロ程のお金を落としてしまったのです。そのときは全く気がつかなかったのですが、子供達がわざわざ届けに来てくれました。スーダンの物価を考えれば、5ユーロは子供にとっては大金です。日本でもそうですが、拾ったものであれば、誰の物かわからないのですから、そのまま持っていってしまいそうなものです。

にもかかわらず数人の子供達は、わざわざ私にお金を届けに来てくれたのです。物凄く緊張した子供達からお金を受け取り「シュクラン(ありがとう)」と伝えると、はにかみながら去っていってしまいました。お金が戻ってきて嬉しかった、というよりも、なんだかとてもさわやかな気分になりました。

もう一つは遺跡の面白さです。砂に埋もれたメロエのピラミッドはエジプトほどの大きさはありませんが、入り口にローマ神殿のような付属物があります。内側のレリーフは、古代エジプトの神々が描かれています。地下にあった玄室の副葬品などは19世紀に盗掘にあって、何一つ残っていないそうです。また、「王の街」と呼ばれる遺跡には、アウグストゥス(初代ローマ皇帝)の彫像の頭部のみが発掘されています。これは国立博物館で見ることができます。当時の女王がローマとの戦いに勝ち、アウグストゥスの彫像の頭部だけを持ち帰ったそうです。これがどういう状態で発掘されたかは、現地に行ってからのお楽しみでお願いします。ローマから遙か遠く離れた地でローマ文化の残照に出会う。古代ローマとメロエ王国のかかわりが、発掘事業でもっと見えてくるのかもしれません。

メロエ以外にも古代ローマと古代エジプトの文化の融合が見られる遺跡がたくさんあります。私の個人的なお気に入りはナカ遺跡のアマニティリナス女王のレリーフです。ふくよかな女王のレリーフは、迫力があり、当時の彼女の権力がしのばれます。

豊かな古代文化遺産をもつ大きな国スーダン。ピラミッドの周りをゆっくり歩いて観光した時に感じた、渇いた熱い大地と風。メロエの夕日とピラミッドのコントラスト。スークで出会ったおじいさん。ナイル河を渡るフェリー。あらゆる風景が脳裏に焼きつき、離れません。
まだまだ語りつくせないことが沢山ありますが、この続きは又改めてご案内します。

クッル
スーダン1

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