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旅倶楽部「こま通信」

~旅するように生きていこう~

旅倶楽部「こま通信」
旅するように生きていこう!
プロフィール

ニックネーム:
こまつうしん
居住地:
埼玉県
性別:
男性
年代:
60代
会社名:
旅倶楽部 こま通信
会社英字名:
会社所在地:
埼玉県
業種:
旅行業
自己紹介:
旅倶楽部「こま通信」代表

これまで三千日以上を旅してきて、より良い旅の為に《手造の旅》をはじめました。メンバーからの要望によって、一生モノの旅をつくっていきます。

《手造の旅》のご希望がありましたらご連絡ください。
komatsusin2@gmail.com

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フェアハットとシリンの巨像拡大図
悲恋伝説の水路〜フェルハットとシリン
エリア:
  • 中近東>トルコ>トルコその他の都市
テーマ:観光地 その他 歴史・文化・芸術 
投稿日:2013/05/07 08:16
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トルコ北東部、黒海から一時間半ほど内陸に入った美しいアマスィア(アマシア)の街。郊外には、悲恋伝説と共に古い水路が残されている。

街から五キロほどのところで二人の像が岩山にあるのが見えた。
フェアハットとシリンの像かなり巨大だ。

巨像の立つ岩山のふもとへ歩いていくと、岩山をくりぬいた古代の水路が延々と続いている。
古代の水路1
ところどころ水がたまっているが、大きさは人がちょうど中を歩ける程度である。
古代の水路の大きさは

この水路にまつわる悲恋伝説
★フェルハットとシリン★***
この話はいくつかヴァージョンがあるようだが、トルコ版のひとつを要約して紹介いたします。

アゼルバイジャン女王の妹シリンは、トルコから水道を掘りに来た職人フェルハットと恋に落ちる。
身分のちがいに加えて遠距離恋愛などできない時代、別れは必然だったが、アゼルバイジャンの王国が崩壊してシリンがトルコの古都アマスィアへ身を寄せることになり、二人は再会。※アマスィアはオスマントルコ時代に歴代の王子が教育のために送り込まれる街だった。

フェルハットはシリンとの間を認めてもらうよう、スルタンに願い出るが、スルタンの息子がシリンに横恋慕していたので、難題を出される。

井戸掘り職人のフェルハットが、岩山を穿つ水路をつくりアマスィアへ水をひくことが出来たら認めてやろう、というのである。

フェルハットは山に穴をあけるというこの難事業を推進。※今でもトルコでは「フェルハットの様に愛している」というと、出来ない事をも可能にするという決意表明になるそうな。

不可能と思われた水路がほぼ完成に近づいた時、スルタンは「シリンが死んだ」とウソを伝える。フェルハットは絶望のあまりつるはしで自分を打って自殺。それを知ったシリンもあとを追う。

***
この水路は確かに山を穿ち20キロの長さがある。しかし、これは古代ローマの建設によるものとされ、伝説の悲恋物語は史実ではない。

それでも、この話はトルコだけでなくペルシャ系のイランなどでも、悲恋物語として人気があるそうな。国も時代も設定も様々ないろいろなヴァージョンが見つかります。

2013年4月のトルコ航空機内誌では数ページのアマスィアの特集が載せられていた。近年だんだんと観光客も増えているそうで、それに合わせて見学できる場所も整備されていっている。

この場所も今年6月(あと二か月)に、展示館を開設して世界中から恋人たちを集めたいと考えているとの事。なるほどこのスペースにその建物が出現するのでしょう。
展示館準備中
遺跡だらけのトルコにおいては、ローマ時代の水路というだけではなかなか人を集められないかと考えた一策かしらん。繁盛すると良いのですが。

***
こちらはアマスィアを流れるイシェルマック川のほとりに以前からあるフェルハットとシリンの像
アマスィア市内にある二人の像

ブレスレット
アミソスの宝
エリア:
  • 中近東>トルコ>サムスン
テーマ:観光地 歴史・文化・芸術 
投稿日:2013/05/06 09:43
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トルコ北東部、黒海沿いの大都市サムスンの古代名はアミソス。1995年の道路工事の際に発見されたポントス王国時代の墳墓から優れた金の副葬品が見つかった。それは「アミソスの宝」と呼ばれ、サムスンの小さな考古学博物館に展示されている。
●博物館はまったくそれと分からない小さな平屋
サムスン、考古学博物館外観
内部に入って料金を払うと(2013年4月現在3トルコリラでした)、すぐに全部の部屋が見渡せてしまう程度のひろさ。いちばん奥にそこだけ違う色のライトで「アミソスの宝」がそれと分かるように展示されている。
サムスン、考古学博物館内部
古代の邸宅からモザイクの床。アキレウスと彼を案じる母テティスの図
アキレウスとテティス

「アミソスの宝」でいちばん目立つのはこの冠
冠
黄金の葉っぱを組み合わせてある。

墳墓は5×5×2.5m。五つの部屋のうち三つが埋葬に使われており、男性一体女性二体だった。
墳墓内部見取り図
金貨が鋳造された年代から紀元前一世紀のミトリダテス六世の時代の人物と推察される。しかし、墳墓自体はそれより二百年程度前の時代に利用されている形跡があるという。誰かの墓を再利用したのかも。
ポントス王朝コイン
高位の人物でなければ、これだけの副葬品は持てなかっただろう。

女性二人は彼の奥方と娘だとされる。女性用らしい装飾品多数。
装身具細部を見ると技術の高さが分かる装身具細工拡大

ニケ女神
ニケ女神海の精ネーレイデスが海馬ヒッポカンポスに乗っている図がたくさんつなげられた大ぶりのネックレスの拡大
ネーレイデス


このブレスレットのデザイン感覚は現代でもそのまま通用するだろう
ブレスレット

観光都市でもないサムソンの小さな考古学博物館には、ほとんど日本人などやってこない。それでも、ちゃんと目を凝らせば、歴史ある街にはちゃんと見どころがある。
※ここだけ黄色の光が当てられていて、本来の色が分かりにくい。金製品をより誇らしく見せようとしているのだろうが、自然光のもとで見られるようにしてほしいものです。

ムスティエのシンボル
ムスティエ・サン・マリー〜「フランスの美しい村」
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>フランスその他の都市
テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2013/03/08 14:59
コメント(2)
フランスのグランドキャニオンと言われるヴェルドン渓谷のすぐ北に、「フランスの美しい村」のひとつ、ムスティエ・サン・マリーがある。
N.D.du.Beauboirへ上がる道
近くにはローマ遺跡のある街もあるが、この町の確かな起源は西暦454年にマキシムス司教がやってきて小さな庵と礼拝堂をつくった事にあるとされる。

旧市街中心の広場から見上げると、険しい山が深く切れ込んだところに滝が流れ落ちていて、その傍らに当時の遺構の残るというノートルダム・ド・ボーボワール教会が見えている。
旧市街中心部、ロマネスクの塔

谷を渡して220mの長さの鎖が渡され、そこに金色の星が吊り下げられているのが見えるだろうか。
谷にかかる200メートルの鎖が見える?

この鎖にまつわる伝説★
十字軍に行ったこの町出身の騎士が聖地で異教徒に囚われた。「無事に故郷へ帰れたなら聖母マリアに星を捧げる」と誓いを立て、それが実行されたというもの。これは19世紀末のプロバンス作家ミストラルが書いて知られるようになったのだが。

星を拡大してみよう
ムスティエのシンボル
大きさは1メートル17センチ。現在のモノは1954年に前のものが老朽化したのを機につくりなおされた。はじめのはじめがいつだったのかは、分からない。

だが、街の紋章になっているのだから、相当に古い時代からあるものなのだろう。
ムスティエ紋章

街全体の絵地図、一番上に星が画かれている。
ムスティエ絵地図

車が止められるところからしばらく歩いて旧市街へ
村中心への道

村の真ん中を流れ落ちてくる川を渡り、中心の広場へ。
旧市街中心部、ロマネスクの塔

公共洗濯場はきっと百年ぐらい前までは現役だっただろう
洗濯場

この鐘楼は12世紀のものとされるが、1970年代の改修の際に8世紀の部分がみつかったと現地の本に解説されていた。
小川を挟んで向こうに見えるロマネスク塔
5世紀に隠者の住んだ後に修道院が出来、この町の名前の由来はそれに由来する。しかし中世の時代に何度も異民族の侵入で破壊されたので、正確な歴史はわからない。

●今日のお昼ごはん。カモのテリーヌ
カモのテリーヌ
三種類のファルシ
ファルシ三種

昼食の後、はるか上に見えたノートルダム・ド・ボーボワール教会へ登って行こう。今日の青空ならきっと美しい景色が見晴らせるだろう。


谷の川を渡る古い橋
N.D.du.Beauboirへの古い橋
曲がりながら続いていく道
N.D.du.Beauboirへの道
かなり急
N.D.du.Beauboirへの階段2
教会への入り口がみえた
N.D.du.Beauboirへの階段1

入口横には古い時代の居住跡と見える穴もあった
N.D.du.Beauboir入口
ポータル入口の木製彫刻は15世紀末のものだとか
N.D.du.Beauboirポータル
美しいロマネスクのアーチが迎えてくれる
N.D.du.Beauboir内部

アルベルト・ジャコメッティのネコのしっぽ
あれもネコ、これもネコ
エリア:
  • 北米>アメリカ東部>ニューヨーク
テーマ:歴史・文化・芸術 
投稿日:2013/01/15 15:43
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ニューヨーク、メトロポリタン美術館でこんなネコに出会った。
スイス100フラン札の顔にもなった彫刻家アルベルト・ジャコメッティの作品。彼のいつもの手法で細くひきのばされている。
アルベルト・ジャコメッティのネコ


説明版に「弟ディエゴのネコを覚えていてその光の筋のようなしなやかさと捕食動物としての動きをとらえた」とある。

大胆にデフォルメされてはいるが、かんたんに制作されたのではない。その弟ディエゴが同じように制作した下のネコを見ると「あれれ?」と思いませんか?
ディエゴ・ジャコメッティのネコ
同じように細くデェフォルメされているのに、その表現力の差は歴然である。

※弟ディエゴのために付記しておくと、彼はもっとコマーシャルな商業作品的なネコで人気がある。
http://www.blog.dcart.com.au/?p=287

★バルセロナ旧市街には下のような巨大ネコが
フェルナンド・ボテロのネコ
こちらは1939年南米コロンビア生まれのフェルナンド・ボテロの作品。ジャコメッティとは対照的に、彼はなんでも太らせて表現するのである。

真逆ではあるが、こちらもまたネコらしさがしっかり表現されている。

この彫刻は少々大きすぎるせいか、バルセロナ市内でも二度場所を移動させられた。しかし、美術館ではなく街の中にこうしてあるほうが、より「ねこらしい」。ジャコメッティの作品を巨大にしてチューリヒの街に設置してくれたら、楽しいでしょうねぇ(笑)

クリストフォロス像の頭部本物
ベルン駅の巨大クリストフォロス像
エリア:
  • ヨーロッパ>スイス>ベルン
テーマ:街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/11/06 20:14
コメント(0)
スイスの首都・ベルン中央駅地下で、突然巨大な顔に出会った。
ベルン駅の置かれたレプリカ
十九世紀に駅が建設されるまでこの場所には下図のように城壁があった。黄色が城壁。灰色が現在の駅である。左に後述する教会がある。かつての門と現在の駅の関係図

その城壁を守っていた木造の頭部がこれなのだ。
頭だけでこんなに大きい、全身10メートルに達したと言われている。

14世紀に建設された城壁は15世紀に増強され、この場所にはクリストッフェル塔と呼ばれる高さ55メートルに達する城門が出現した。
1818年頃の様子を再現した図↓
1818年頃のクリストフォロス門内側から
ここにはめ込まれていたのがこの巨像。
クリストフォロス巨像はこんなふうだった
この巨人は何者か?もともとはラインの渡し守・聖人クリストフォロスとしてつくられた。肩にキリストを載せて川を渡ったという逸話から手には杖を持っていた。再現した像がベルン歴史博物館にある。
クリストフォロス像復元図
上記二つの再現図・再現像の肩にキリストが居ないのはなぜか?
それは、1528年の宗教改革による。華美な装飾を罪悪とみなしたプロテスタントは、大聖堂内の30にも及ぶ祭壇を破壊。
カソリックの「聖人」というものを敵視し、このクリストフォロスも旧約聖書に登場するゴリアテとみなされた。ま、この時破壊されなかっただけ幸運ではある。

その後、この木造の像は三百五十年もの年月を生き延びていた。鉄道駅建設によって塔と共に破壊されるのを惜しんだベルンの人々は多かった。投票の結果はしかし、415対411で、取り壊し賛成派が勝利。

取り壊し直前1865年の様子が写真に残されている。これはクリストッフェル門を外側から写している。逆側を撮っていればクリストフォロスが写っていただろうに、残念。1865年のクリストフォロス門を外側から
この写真左端に写っている精霊教会を市内方向から写すとこんなかんじ現在の門への目抜き通り


巨像はその顔の部分と足先・手の先だけを博物館に残し、全身は貧しい人々へ薪として与えられたという。博物館へいくと、真っ先に出迎えてくれた。
クリストフォロス像の頭部本物
色は風雪で全く失くなっているけれど、本物の迫力はすごい。
南ドイツ後期ゴシックの名匠リーメンシュナイダーの影響をうけた、ニュルンベルグのアルブレヒトという人物の手になると言われている。
足の部分は地下階へ降りたところにある。
クリストフォロスの足先こちらの方には色がしっかり付いているのは何故なのだろう?

ニュルンベルグのアルブレヒトは、15世紀後半から16世紀にかけて、ベルンを代表する彫刻家の一人と言われたそうだ。大聖堂の洗礼盤はかわいいライオンちゃんが覗いている。
洗礼盤
拡大図はこちらから
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/iDiary/index.php?mode=show&date=20121103

上を見上げた。このゴシック天井のキーストーンの一つに、アルブレヒトが刻んだという聖アンドレがあると教会の説明にあるのですが・・・ちょっと見えません。
宗教改革で破壊された祭壇にあったとされる司教像の頭部が、大聖堂のテラスを発掘して見つかった。んんん、なるほおど、アルブレヒトが卓越したニュルンベルクの石工マイスターたちの伝統を受け継いでいるのがよくわかる。
アルブレヒト作「司教の頭部」

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